Quantcast
Channel: 土のうえ のブログ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 261

ユゼフ・ヒェロニム・レッティンゲル

$
0
0
御来訪ありがとうございます。
 
オバマさんのブレーンに ブレジンスキーという方がいますね。
 
(引用開始)
 
 
 
 
 
カーター政権時の国家安全保障問題担当大統領補佐官を務めたことで知られる。 ポーランド出身。カナダ育ち。
 
 
ポーランドワルシャワに「ズビグニェフ・カジミエシュ・ブジェジンスキ(Zbigniew Kazimierz Brzeziński)」として生まれる。ブジェジンスキ家は、現在はウクライナ領となっているブジェジャヌィを故地とし、3つのホルンをあしらった「トロンビィ」紋章を持つポーランドの名門シュラフタ外交官だったタデウシュ・ブジェジンスキは1931年から1935年までベルリンに赴任、ズビグニェフも父と共にドイツで過ごし、アドルフ・ヒトラー率いるナチス党の台頭とその強引な政治手法を目撃した。
 
 
ポーランド王国参政権を持つ社会階級、ないしそこに所属する人々。
 
 
 
 
 2011-06-22
 
 

■欧州統合運動の「統合者」である諜報員

実は、欧州統合運動は第1次世界大戦後まもなくから水面下で数方向のルートで進行していた。その1つがハプスブルク朝 Haus Habsburg の政治家であるクーデンホフ・カレルギー伯爵 Richard Nicolaus Eijiro Coudenhove-Kalergi(1894-1972、別名:青山栄次郎)の「汎(はん)ヨーロッパ運動」である。

伯爵は、近代の戦争は巨大な産業の力を必要とする、だから資源が共通の権威の下に置かれるならば、大国同士の紛争は避けることが出来ると考えた。つまりドイツの石炭とフランスの鉄鋼が、両国に跨(またが)る1つの権威のコントロール下にあるならこの2国の新たな戦争の回避が期待出来ると主張した。これはECSCのモデルになっている考えでもある。
 
しかし、ナチス・ドイツの台頭によりその統合計画は破綻した。第1次世界大戦で敗北したドイツ(ワイマール共和国)から生まれた最悪の独裁体制が、ナチス・ドイツ Nazi Germany である。

ナチス政権には、ニューヨーク・ウォール街やロンドン・シティの金融資本、ロックフェラーのスタンダード石油と、ジョン・F・ダレス John Foster Dulles(1888-1959、後の国務長官、企業弁護士)等のアメリカ支配層が支援(宥和政策)を行っていた(但し、ジョンの弟アレン・ダレス Allen Welsh Dulles〔1893-1969、後に1953~1961年までCIA長官を務める〕は反ナチスの立場を取った)。

アメリカとイギリスのことを一纏めにして、アングロ・アメリカン Anglo American と呼ぶが、このアングロ・アメリカンの資本家達は、そもそも20世紀前半には、ドイツ帝国牽制の為という名目で、ロシア革命 Russian Revolution に対する資金援助を行っていた。

しかし、途中でレーニン Vladimir Lenin(1870-1924)やスターリン Joseph Stalin(1878-1953)をコントロール出来なくなったのか、今度はドイツを使ってソ連共産主義を封じ込めるという戦略に移ってしまう。場当たり的な米英の行動が世界大戦の悲劇を生んだ1つの原因である。

米英はその後も同様に、自国の利益の為に何度も傀儡政権を樹立しては潰してきた。このナチス台頭についての米英財界の犯罪的関与については、アメリカの作家エドウィン・ブラック Edwin Black(1943-)の著作や菅原 出(すがわら いずる)氏の労作『アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか』に詳しく書かれている。

そのような中で発生した第2次世界大戦で活躍した1人のポーランド外交官(正確には諜報員)がいた。名前をユゼフ・ヒェロニム・レッティンゲル Jozef Hieronim Retinger(1888-1960)と言う。彼こそが、数多く分立した欧州統合運動を一纏めにして、亡くなるまでビルダーバーグ会議終身事務局長として、欧州政界の黒子役として君臨してきた人物である。

彼はポーランドの愛国者であった。第2次世界大戦中には、彼はポーランド亡命政権を率いた軍人、シコルスキ将軍 Władysław Eugeniusz Sikorski(1881-1943)の閣僚評議会顧問として、政治の舞台裏で活躍するようになる。

彼は、人脈のあった英国を拠点をポーランドとソ連の外交交渉に積極的に関与したが、ソ連軍がポーランド将校を大量虐殺した「カティンの森事件」の後は、反ソに傾斜していく。彼はイギリス軍の航空機に乗ってポーランド上空からパラシュートで降下し、国内の政府要人・軍人との戦略会議を行った。ところが、シコルスキ将軍が飛行機事故で死亡してしまう。

イギリスとレッティンゲルの関係は深く、戦後、彼はポーランドからイギリスに政治亡命し、以後は「女王陛下の秘密諜報員」として生きることになる。

戦争中、イギリスは、アメリカのアイゼンハウアー将軍 Dwight D. Eisenhower(1890-1969)、フランスのド・ゴール将軍 Charles de Gaulle(1890-1970)、オランダのベルンハルト殿下や連合国の情報将校が集まる拠点になっていた。これらの諜報ネットワークが戦後のCIA(アメリカ中央情報局)の誕生に繋がった。

アメリカのアイゼンハウアー政権で心理工作担当補佐官を務めた、初期のビルダーバーグの主要メンバーだったチャールズ・ダグラス・ジャクソン Charles Douglas Jackson(1902-1964)と言う出版業界の大物は、レッティンゲルを「まるでジェームズ・ボンド(James Bond)のような男だ」と評したと言う。
 
 
 
EU設立とユゼフ・ヒェロニム・レティンゲル」
http://www.polinfojp.com/kansai/umd05.htm
 
 
レッティンゲルはクラクフの郊外にて1888417日、あまり裕福でない小地主の末息子として生まれた。父親は弁護士であり、19世紀末の『モルスキェ・オコ領土所有権裁判』にてポーランド大貴族であるザモイスキ(Władysław Zamoyski)の弁護士として闘い、見事に勝訴した。現在タトリ山脈のMorskie Oko 池がポーランド領土であるのはレッティンゲルの父によるところが大きい。母はヤギェウォ大学総長Emilian Czyrmiańskiの娘であった。ザモイスキ家との関係は将来J.H. レッティンゲルに後の有力者たちとの多角的な友誼関係を持つことに大きな役割を果たした
 
 
 
ポーランドにおいてソ連の露骨な人権や民主主義的手続きへの蹂躙を目の当たりにしたレッティンゲルは欧州の未来、すなわち共産化の危惧につき真剣な分析を行い、『自由の連帯』に基づく欧州統合しかソ連の脅威に抵抗する手段がない事を提唱し始める。
 
 
 
 
 

レッティンゲルはアヴェレル・ハリマンの支持を得て、アメリカ財界とのパイプ作りを進めた。RIIAとCFRが姉妹組織であることを思えば、この行動も組織的な動きと考えられる。
 
イギリスは、大戦で深い傷を負った。イギリスの支配集団は、アメリカの支援を必要としていた。一方、アメリカの支配集団は、イギリスを含むヨーロッパへの勢力拡大を進めていた。レッティンゲルは、J・P・モルガン系でCFRの理事長ラッセル・レッフィングウェル、ネルソン・ロックフェラー、デヴィッド・ロックフェラー、ジョン・F・ダレス等へと交流を広げていった。
 CFRは設立以来、会長が全体を統括していたが、第2次大戦後、理事職を設けた。戦後初の理事長がレッフィングウェルで、次はジョン・マックロイ。その次がデヴィッド・ロックフェラーである。マックロイは、ロックフェラーの銀行であるチェース・マンハッタン銀行(当時)の頭取だった。レッティンゲルは、モルガン系やロックフェラー系の所有者・経営者に人脈を拡大していったのである。
 こうしてレッティンゲルは、欧州統合を目指し、英米連携を強めながら、舞台裏で積極的に行動した。そのような中で設立されたのが、ビルダーバーグ・クラブである。

 ダニエル・エスチューリンの「ビルダーバーグ倶楽部」(バシリコ)によると、「上流階級のカクテルパーティでは、ビルダーバーグは英国情報機関、MI6の創造物で、RIIAの指令下にあるものとささやかれている」という。また「MI6は、ビルダーバーグを機能させるには王室の権威を借りて広範な支持を集める必要があると考え、オランダ王室のベルンハルト殿下に目をつけた。欧州の王室や産業界の重鎮と幅広い深交があり、おあつらえ向きの仲介者だったからだ」と書いている。
 
MI6とは、イギリスの軍事情報部(MID)で諜報活動を担当する第6部のことである。アメリカで言えば、中央情報局(CIA)に相当する部門である。
 
 
 
エスチューリンは、レッティンゲルについてはほとんど触れず、ビルダーバーグ・クラブの構想は、二人の人物から出たものだという。
 
一人はアラステア・バカンである。初代トゥイーズミュア卿ジョン・バカンの息子で、円卓会議のメンバーである。RIIAの理事や戦略研究所所長等を歴任した。もう一人は、ダンカン・サンズである。チャーチルの娘婿で、卓越した政治家だったらしい。クーデンホーフ=カレルギーはチャーチルに欧州統合運動を呼びかけ、サンズが運動団体を作り、国際会議を主宰した。レッティンゲルは、チャーチルと親しかったから、サンズとも親しかっただろう。欧州統合を目指すレッティンゲルと、欧州統合運動を進めるサンズには、協力関係があったと思われる。
 いずれにせよ、ビルダーバーグ・クラブに至る発想は、イギリスで生まれた
 
ビルダーバーグ・クラブは欧米志向が強く、参加者の多数は西欧人である。アメリカ人は15~20%程度に過ぎない。この比率は、アメリカの国家と資本が世界経済で占める割合に比べると、アンバランスである。
 
デヴィッド・ロックフェラーは、ビルダーバーグ・クラブの創設メンバーであり、運営委員を務めている。またビルダーバーグ・クラブに対し、IBM、エクソンなどの系列企業から多額の寄付を出しているようである。デヴィッドは、アメリカでは無名だったジミー・カーターやビル・クリントンを、彼らが大統領選挙に立候補する前に、ビルダーバーグ・クラブで紹介し、大統領に押し上げた。
 デヴィッド・ロックフェラーは、ビルダーバーグ・クラブに日本を参加者に加えることを提案して拒否され、73年(48年)、独自に日米欧三極委員会(TC)を創設した。
 
(引用終わり)
 
 単にポーランドつながりで。。
 
 英米の連携でできて、西欧人が多い。。ですか。
 日本の、内務省(苦笑)は、ホントは、こっちが好きなんじゃないかな?
 
 御来訪ありがとうございました。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 261

Trending Articles