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マラリアの特効薬であるキニーネで面白い話がありましたので
ご紹介します。
(引用開始)
マラリア
マラリアの治療薬としてはキニーネが知られている。
クロロキンは他の薬剤よりは副作用が少ないため、予防薬や治療の際最初に試す薬として使われることが多いが、クロロキンに耐性を示す原虫も存在する。
2010年以後、アルテミシニンはグローバルファンドの援助によって東南アジアのマラリア治療薬としてインドネシアの国境付近のような僻地であっても処方されるようになってきている。
米軍は厳重なマラリア対策を行っていたがそれでも患者は多かった。
日本軍に至ってはほとんど対策をとっておらずガダルカナルでは1万5000人、インパール作戦では4万人、沖縄戦では石垣島の住民ほぼ全員が感染し[10]3600人、ルソン島では5万人以上がマラリアによって死んだ。
キニーネ
その後、キニーネの構造を元にクロロキンやメフロキンなどの抗マラリア薬が開発され、キニーネは副作用が強いため代替されてあまり用いられなくなった。 しかし、熱帯熱マラリアにクロロキンやメフロキンに対して耐性を持つものが多くみられるようになったため、現在ではその治療に利用される。
抗マラリア薬
キニーネはマラリア原虫に特異的に毒性を示す。
原虫はこのヘムをヘムポリメラーゼによって重合させて無毒化している。 キニーネはこのヘムポリメラーゼを阻害することによって原虫に対して毒性を発揮するという説が有力である。
ヘム
2価の鉄原子とポルフィリンから成る錯体である。通常、2価の鉄とIX型プロトポルフィリンからなるプロトヘムであるフェロヘムのことをさすことが多い。ヘモグロビン、ミオグロビン、ミトコンドリアの電子伝達系(シトクロム)、薬物代謝酵素(P450)、カタラーゼ、一酸化窒素合成酵素、ペルオキシダーゼなどのヘムタンパク質の補欠分子族として構成する。
ポリメラーゼ連鎖反応
DNAを増幅するための原理またはそれを用いた手法で、手法を指す場合はPCR法と呼ばれることの方が多い
一方、PCR法自体はシータス社の同僚の手により鎌状赤血球症という遺伝性疾患の迅速な診断手段に応用された。
このように、PCR法の応用、発展にはシータス社グループ(当初はマリスも含む)のはたした役割が大きいのであるが、最初にこの方法を着想し、方向性を示したという業績により、1993年にキャリー・マリスがノーベル化学賞を受賞している。 シータス社の保持していたPCR法の特許 [4]は1992年にエフ・ホフマン・ラ・ロシュ社に権利が買われたが、現在その特許権は失効している。
☆キニーネの物語
キナ皮から薬効成分であるキニーネを純粋に取り出すことに成功したのはフランスのPelletierとCaventouで、1820年のことです。
しかしキナの樹皮だけでは高まる一方のキニーネ需要を満たすことはとてもできず、1850年代には「キニーネの人工合成に成功した者には4000フラン」という懸賞がかけられるほどになりました。
これを聞いて一攫千金の野心に燃えたのがイギリスのWilliam H. Perkinで、驚くべきことに当時わずか18歳という少年化学者でした。
(中略)
Perkinはあきらめずにもう少しこれを追求しようと、もっと単純なアニリンを同じように酸化してみることにしました。しかしここでできたのはさらに汚い真っ黒の固体で、彼はやむなくこれを捨てようとフラスコを水とアルコールで洗い流そうとしました。ところがここで、彼はこの洗液が美しい紫色をしていることに気づいたのです。試しに手近な布をそれに浸してみたところ、布は鮮やかな紫に染まっていました。紫の天然染料は極めて高価で、そのためこの色は古来王者の象徴とされてきたほどです。このタールはその安価な代用品になるのではないか、とPerkinはひらめいたのです。世界初の人工染料、「モーブ(mauve、またはmauveine)」の誕生の瞬間でした。同時にこれは、化学工業の時代の幕開けを告げる出来事でもあったのです。
Perkinにとってもうひとつ幸運だったのは、彼が使ったアニリンにはトルイジン(メチル基がひとつ余計についている)が不純物として混入しており、これが実はモーブの生成には必須だったことです。
ともかくPerkinは資産家であった両親を説得し、苦労の末にこの人工染料を工業化して大成功を収めました。
この後Perkinはアカネ色素アリザリンの人工合成にも成功し、紫に続いて赤い色素をも世界に提供することになります(1871年)。
彼の成果に刺激を受けて各国で次々と色彩豊かな人工染料が開発され、それまで限られた高価な色しか使えなかったファッション界には一大変革期が訪れることになりました。BASF、チバガイギー(現ノバルティス)、ヘキスト(現サノフィ・アベンティス)、ICIなどの巨大化学メーカーがいずれもアニリン染料の開発からスタートした会社であることを思えば、若きPerkinの発見が与えた影響の大きさがわかるのではないでしょうか。