一部を引用させていただきました。ぜひ、原典をご覧下さい。
(引用開始)
アヘン帝国 汚れた歴史
アヘン帝国の支配者たち
1932 年 の 11 月には組織化されたアヘンの専売があり、 三井財閥が、さもこれが国内における麻薬の多量の消費を抑える目的のためとか称して、アヘンを栽培していた。 固定された栽培地が熱河省と吉林省の北西に設定された。1934-35 年の間の栽培面積は 480 平方キロメートル、1 平方キロメートルあたり 1.1 トンを生産していたと評価されていた。また、多くの非合法の栽培もされ、非常によく儲かるため、この危険な麻薬を効果的に抑制することに障害となった。 秘密の日本人の商人のグループである "Nikisansuke" が関与した。
このグループは以下から構成されていた。(訳注 : 英文の Wikipedia 内にリンクが張ってあって日本語表示があるものは日本語表示もつけています。)
- Hoshino Naoki(星野 直樹) (noted Japanese Army thinker)
- Tojo Hideki (東条 英機) (Japanese Army politician and leader in nation)
- Kishi Shinsuke (Merchant and right-wing supporter)
- Matsuoka Yosuke (松岡 洋右) (Japanese Army follower and foreign affairs minister)
- Aikawa Gisuke (Japanese Chairman of Manchukuo Zaibatsu)
- Kuhara Fusanosuke (Right-wing thinker)
専売は、1 年あたり 2000 万円から 3000 万円の利益を生み、満州国の産業発展に資金供給をした。
軍隊は兵士によるアヘンと麻薬の使用を禁止したが (これを破れば、日本の市民権を剥奪された)、 劣等種族の士気をくじくために使用することには許可を与えた。
関係者の一人である星野 直樹は満州国のアヘン専売局の儲けを抵当にして、 日本の複数の銀行から多額のローンを取り決めた。 別の当局者によれば、満州国の分も含め中国全体の麻薬の収入は日本軍によって年間 3 億円と評価されている。
類似の、アヘン専売制は日本が支配したアジア全体にあった。
Japan Times に載った記事、その 1 (興亜院と里見甫)
この報告書が興亜院に対するものであると結論されたのは、この文書に 1941 年 4 月 10 日付の及川源七 (興亜院の総務長官) 宛てのメモが付属していたためです。(日本語版 Wikipedia の興亜院の項目で「興亜院の人事」が書かれており、及川源七の名前が記載されています。)
興亜院の長は総裁で内閣総理大臣が兼任していましたから、これで日本政府が戦時下の中国における麻薬取引に直接関与したことが文書で明らかになったことになります
里見はまた次のようにも報告している。 彼の企業は、モルヒネやコカインを中国の市場価格で直ちに売ることが出来、 市場価格は帳簿価格の倍である
1937 年に設立された内モンゴルの傀儡政権は収入を増やすため、組織的にケシを栽培し、 取引をした麻薬取引業者の最大手が Hung Chi Shan Tang (里見機関) である。1942 年にはアヘンの収益は当初予算の 28 パーセントにも達した。
里見は更に文書の中で「アヘンはモンゴル政府が外貨を獲得できる唯一つの物資なので、 我々は販路拡大に最大限の努力をした。」とも述べている。
上海やそれ以外の都市からのアヘンの売り上げは直接東京に渡った。 調査の結果、東条内閣の時にはこのような金は内閣の秘密資金として割り当てられ、 国会議員の補助に使用された。これは戦後、日本と協力関係にあった中国の指導者を裁くための南京裁判で Mei Sze Ping が書面で提出したものの中に記載されている。
里見甫は東京政府から金を借りて、里見機関を設立したようで、その理由からも、また既存の麻薬の流通組織との摩擦を解消するために、 東京に金を提供したのかもしれません (ワイロ)。 一方で里見甫は新しいやり方を導入しようとしたようで Japan Times の最初の記事の中に次のようなくだりもあります。
モンゴルと満州国からのアヘンはすべて空輸され、昨年度、航空会社 (中華航空, Chinese Aviation Airway) に対する支払いは軍票で 300 万円に達した。
日本語の Wikipedia の「里見甫」の項目にはかなり嘘があります。「戦後はA級戦犯として起訴されるが無罪釈放。」と書かれていますが、Japan Times の最初の記事には
東京裁判のときに里見は A 級戦犯として逮捕されるが、不明な理由から、起訴されることがなかった。
無罪釈放ではなく、裁判を受けていないのです。理由が明示されないまま不起訴処分となったのです。
Japan Times に載った記事、その 2 (アヘンの専売制)
Japan Times の 3 番目の記事に、アジアにおけるヨーロッパの植民地でも (満州国などと同様に) 財政の 10 % から 50 % がアヘンの売り上げで占められていたとしています。例えば英国領のインド、香港、シンガポール、ポルトガル領のマカオ、オランダ領の東インド (現在のインドネシア)、フランス領のインドシナです。
このことは英文のホームページで独立に確認することになりました。 知りたかった点は第二次大戦ではインドシナ、インドネシアなどは日本が占領しますが、ここでも日本軍は麻薬の専売制を導入するはずです。どのような形態をとっていたのか調べようとしたことから、いくつかのページがヒットしました。
19 世紀後半に世界中でアヘンの消費が増大します。しかしながら20 世紀初頭に倫理的な問題に関しての議論が激しくなると各国は見かけ上は植民地および本国でのアヘンの消費量を削減する方向になります。 例えば、オランダは (植民地の) 東インドでのアヘンの製造と販売を自国の管理下におきます。アヘン専売制度 (Opium Regie) と呼ばれる制度が導入されますが、これはフランス領のインドシナ の制度を真似たものです。これでオランダ領の東インドでアヘンの消費が削減できるかどうか大いに疑問です。明らかに、アヘン専売制度の導入直後の 10 年間ではアヘンの売り上げは ずっと増え、政府に多大の利益をもたらしました。
Japan Times に載った記事、その 3(軍票)
1941 年 12 月 25 日に香港の英国殖民地政府が日本の帝国軍隊に降伏した後、 日本の新占領政府は翌日から軍票が香港の法廷貨幣であることを布告した。 日本の占領政府は香港ドルの使用を非合法化し、ドルを円に両替することに最終期限を設定した。それ以後にドルを所持するものは拷問されることとなった。 軍票が 1941 年 12 月 26 日に始めて導入されたときの香港ドルと円の為替レートは 2 対 1 であったが、1942 年の 10 月には 4 対 1 と なった。
ドルを手に入れて、日本軍は中立地帯であるポルトガル領のマカオで補給と戦略物資を購入した。
日本は 1944 年に戦争継続に絶望的な努力を払い、香港における日本の軍政府は更に多くの軍票を流通させ、結果としてハイパー インフレーションを招くこととなった。
国会図書館で見つかった文書から明らかとなった点は、1940 年代の蒋介石の yuan (元, 圓) に基づく法定貨幣から、 経済覇権を奪取して、軍票を助勢するためにアヘンを使用したことである。 軍票の価値を支えるためにアヘンが使用されたと言われていたが、どのようにして運用され、どれだけ (アヘンが) 使用されたのか始めて具体的に明らかとなった。
国会図書館で見つかった文書では里見甫が、アヘンの価格を「元」ではなく、(軍票の) 「円」に変更したことを報告しており、これが上の議論の根拠を与えているようです。なお、蒋介石 政府の法定貨幣 yuan は漢字ではどのように書くのか少しわからないので可能性のある漢字 (元, 圓) を列挙しています。軍票のことに関しては次も参考になります。
軍票
ここには「日露戦争・青島出兵・シベリア出兵・日中戦争・太平洋戦争に際して発行され、 日清戦争の時には印刷されたが発行されなかった」としています。 以下見るように、軍票は単独ではかなり危なかしいですが、麻薬とコンビを組めば、比較的に安定するようです。従って、軍票が発行された場所には麻薬中毒が累々と存在したことになります。
色々なページを引用しましたが少し整理をする必要があります。 第二次大戦前の多くの国では紙幣の価値を保障するために金などと交換可能でした (金本位制, Gold Standard)。ただ単に紙幣を印刷するだけではインフレになる可能性があります。 日本軍の占領下では、強制的に軍票を使用させたようですが、これだけでは紙幣の価値を保障することが出来ません。 端的に言って日本の軍票は「金本位制」ではなく「アヘン本位制」を取ったと言えばわかりやすいでしょうか。これが、Japan Times に掲載されている記事で述べていることです。また、これは日本軍が軍票を使用し始めた当初からこうであったようです。
しかし、これが可能となるためには、占領下の住民がアヘン (あるいは広く麻薬) を価値あるものと しないといけません。従って、占領下で麻薬が蔓延していないと、軍票の意味がなくなります。そのため、占領地で麻薬中毒がいなければとても困ることになります。 通常は日本軍は敵地を攻める前に、敵地で麻薬を蔓延させる下工作をしていますから、 占領と同時に軍票が効果を持ったことでしょう。しかも軍票以外の (敵の) 貨幣 (yuan) では麻薬を購入できないようにでもすれば、 貨幣の移行は極めてスムースに行くはずです。しかし、いくら麻薬で価値を保障されていても あまりに軍票を乱発すれば、ハイパーインフレーションととなることが必定のようです。
政府による預金封鎖
政府において、財政が破綻寸前になった場合、銀行預金などの国民の資産を把握して、資産に対して税金を掛けて政府収入にあてることで、破綻から免れようとすることがある。また市場に出回った通貨の流通量を制限し、インフレを金融政策で押さえる方法として実施される場合がある。その際通貨切替をして旧通貨を無効にし、市場通貨を金融機関に回収させる方法がとられることがある。この場合にも預金封鎖が行われる。
日本で行われた封鎖預金
新円切替
(引用終わり)