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どうして韓国に入れなかったんだろう②

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御来訪ありがとうございます。
 
 
(引用開始)
 
 
 
(引用終わり)
 
このラッセル商会という 麻薬組織のことを、知らなかったんで、ぶっ飛んじゃいました。
 
 
(引用開始)
 
 
 

 
 
66
名無しさん@お腹いっぱい。[]投稿日:2006/09/14 05:28:48 ID:1QbDItXF0(2)
昭和通商社員の証言
 
 
「昭和十六年、わたしが天津にいたときだった。陸軍も予算が足りないので、別途に資金づくりを
 しようという軍命があった。そこで北支方面軍と昭通、それに正金銀行と朝鮮銀行の各支配人が集
 まって対応策を協議した。そのとき、両銀行の支配人は、金儲けなら賭博が一番で、次に阿片です
 ね、と言い出した。それなら賭博がいいだろうということになって、一同、上海まで賭博場見学に
 行った。帰ってきてから、わたしは北支方面軍の西野参謀に『賭博による資金工作』という建白書
 をつくって提出したが、いくらなんでも、軍が賭博の胴元になることはできなかったのであろう、
 結果は不可となった。
  どういう経路かわからないが、その後、北支方面軍から、突然、資金工作に阿片取扱いの話が持
 ち上がってきた。当時、あのように歩の良い商売はないと目されていたのが阿片売買で、それは支
 那派遣軍全体の風潮にあったようだ。おそらく南京の総軍あたりから出た話と思う。
  当時、阿片一両(八匁三分)が張家口で二十円のものが、天津で四十円、上海で八十円、シンガ
 ポールへ行くと百六十円という具合の値上がり率だった。これによって得た資金は、昭通の物資収
 買の際の資金として大変役立ったが、物資調達の上で有効なばかりでなく、宣撫工作用としても大
 いに活用された」
  (山本常雄『阿片と大砲』(PMC出版 1985)より)
 
 

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名無しさん@お腹いっぱい。[]投稿日:2007/04/14 01:12:25 ID:WgC3WuIL0(2)
土肥原機関 (上海 陸軍参謀本部第2部第8課(情報部宣伝謀略課)直属)
  元ハルビン特務機関長・元奉天特務機関長土肥原賢二が組織。
  主に華北軍閥懐柔工作、重慶政府情報収集に従事。その後、影佐偵昭大佐の梅機関に。

甘粕機関 (満州 民間)
  甘粕正彦が大陸浪人などを集めて組織。奉天特務機関長土肥原賢二などと連携し、
  アヘン密売などに従事。

茂川機関 (天津 支那派遣軍司令部北支那方面軍直属)
  茂川秀和大尉が組織。松機関と連携してアヘン密売などに従事。
  盧溝橋事件を利用した日中全面衝突誘導工作への関与が疑われている。

松(岡田)機関 (上海 支那派遣軍司令部参謀部第2課(情報課)直属)
  岡田芳政少佐が組織。大陸浪人阪田誠盛らとともに、天津でのアヘン密売や、
  岩畔豪雄大佐指示による杉工作(偽札の製造・流通で、中国経済の混乱を画策)などに従事。

梅(影佐)機関 (上海 支那派遣軍司令部直轄)
  参謀本部第2部第8課初代課長だった影佐偵昭大佐が組織。蒋介石のライバルだった
  汪兆銘らの懐柔工作に従事。土肥原機関よりテロ組織ゼスフィールド機関を引き継ぐ。

里見機関 (上海 民間)
  関東軍直属「満州国通信社」初代主幹だった里見甫が組織。影佐偵昭大佐の指導で
  中国の犯罪組織と連携し、上海でのアヘン密売を取仕切る。

ゼスフィールド機関(ゼスフィールド76号)(上海 土肥原機関・梅機関配下)
  土肥原機関員だった晴気慶胤少佐が影佐偵昭大佐の支援の下に組織。共同租界を
  中心に、蒋介石側謀略機関「藍衣社」などにたいする暗殺・テロ活動に従事。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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名無しさん@お腹いっぱい。[]投稿日:2007/04/14 01:15:07 ID:WgC3WuIL0(2)
興亜機関 (香港 支那派遣軍司令部参謀部第2課(情報課)直属)
  岩畔豪雄大佐らが創設したダミー商社「昭和通商」と連携し、阿片密売や軍事戦略物資
  調達などに従事。

児玉機関 (上海 民間)
  大西滝治朗少将主導の下、児玉誉士夫が大陸浪人などを集めて組織。海軍航空本部への
  資材調達に従事する過程で、巨利を得る。

陸軍登戸研究所
  岩畔豪雄大佐らが謀略戦略資材の研究製造などを目的に、旧組織を改組して設置。
  科学戦研究機関「習志野部隊」「関東軍516部隊」、細菌戦研究機関「関東軍731部隊」
  などとも連携。偽札流通工作「杉工作」などにかかわる。

陸軍昭和通商
  岩畔豪雄大佐らが主導し、各財閥より出資を募り、昭和14年設立。世界各国に
  支店を開設し、武器売買・軍需戦略物資調達・阿片売買などに携わる。また、
  陸軍特務機関員の活動工作のための拠点としても利用された。
 
 


 
 
 
 (引用終わり)
 
 
これじゃ、どことどこが組んで、アイゼンベルグ氏を韓国から締め出したのか多すぎてわかりません。(苦笑)
 
ですが、ジャパンロビーと韓国ロビーの利害が一致したという文章もどこかで見たので、締め出しに成功したのかもしれません。
 
ユダヤ人をアメリカに入れるなというフォード社長などの一派と
ユダヤ人をアメリカに入れるべきといっていたシフさんたちも、
共通の利害、もっと儲かるということでは手を打ったんだろうし、
 
GHQのG2(反共)と、民生局(ニューディーラー)の対立は、どっちが乗っ取るか? みたいな話で、共産主義ぶってた人が、ネオコンになったり
反共の人が、共産主義の次段階である小さな政府を主張するのも
不思議はないんですが。。
 
 
戦争よりも伝染病で死なせた方が。。なんて言うローマクラブにも
ロシア革命の共産党にも、ナチにも資金援助するというのは、
どっちに転んでもいい、どっちにも顔つなぎをしておいて儲けるというのは 商人の基本ですから、驚くにはあたらないのかな。。
 
 
 
 
マッカーサー氏が、ニューデイーラーと、反共のいいとこ取りをして
手柄にしたしばらくあとには、ずれたおじさんになっていた。
 
というのは、「民主主義VS共産主義」の対立で儲けようと決まってしまったからかもしれません。
 
 
太平洋戦争の余った武器を朝鮮戦争で使った、という話もあるからです。
 
マッカーサーは、イギリスの影響が強すぎるとして、CIA(OSS)を嫌っていたという話もあります。米国は、イギリスから独立したのですから
そういう勢力もあるかもしれません。 
 
 
単に、商売の争いかもしれませんが
 
 
 
 
メモ グルー  ハリーカーン
 
で引用させていただいたグルーという人は、単なるジャパンロビーというより もうちょっと格上の人なのかなあ。。
 
引用させていただいた「天皇制を残す理由」の他に、天皇は、財閥であった、という要素がありますから、共産主義になられちゃうと 奪う前に解体されちゃうでしょうから。。
 
 
 
(引用開始)
 
 
 
 
モルガン商会は銀行ではない。アメリカの国家であり、アメリカの法律であり、アメリカの制度である」」
 
~モルガン財閥~
 
 オーガスト・ベルモント(-)キャロライン・ペリー ⇒ アリス・ペリー(-)ジョゼフ・グリュー…

 …このような関係となり、グリューは、ベルモント一族となった。
 その後、ジョゼフ・グリューは、太平洋戦争前に、アメリカ日本大使として、三井・三菱財閥を渡り歩き、軍人と交流を深めていった。その狙いが、中国大陸での石油利権であった。
 
そして、このグリュー一家のジェーン・グリューが、当時全米一の富豪J・P・モルガンJrの妻となっていたのである。
 
 
 
 
児玉誉士夫 巨魁の昭和史 
 
 
98ページ  つまり児玉の台湾義勇軍に対する活動は、G2の下請け工作 でもあった
 
99ページ
 児玉氏は辻正信に OSI(空軍情報局)のフランク(フランクGオニール?)のエージェントになるように勧めた
 
 
101ページ GHQは 密輸を黙認していた。 (台湾⇔日本? +アメリカ?)
         
 
 
213ページ CIAは、賄賂をオーケストレーションしていた。
 
 
306ページ CIAはマネーロンダリングをしていた。
   ディーク社
    
    
 片山シゲトモ 氏は、領収書を香港で大量に書いた。
  
片山の50年代の仕事は、アメリカのインテリジェンスのために麻薬を扱うことだった。
 
 
 
オーラルヒストリー企画
 
 
 朝鮮戦争がまだ続いていた頃、『人民日報』に「国際義勇軍が日本で組織され、台湾に派遣される陰謀計画が進行中である」という記事が出たことがありました。
 この計画の総元締は元支那派遣軍の総司令官であった岡村寧次であり、募集の責任者は元第1軍司令官・澄田賚四郎でした。その他、元北支那方面軍司令官・根本博、右翼の児玉誉士夫、それに元第1軍参謀長・山岡道武も加わっていました。岡村は蒋介石に、澄田は閻錫山にそれぞれ協力した“功績”により、戦犯を免れていました。
 
 
 
(引用終わり)
 
 
ラザールフレールに行った澄田智氏の父親が出てきました。
 
あらゆる機会を使って、CIAは、マネロンをしていたということです。
 
政治家へのリベートとして上乗せが、と話題になりますが、それだけではないと思います。 闇取引の会計処理ではないでしょうか?
 
 
 
 
 韓国に先行して保障ビジネスの始まったインドネシア
 
「沈黙のファイル」には瀬島龍三氏が、辻正信氏を通じて、スカルノに取り次いでくれた。という記載があります。
 
沈黙のファイルの冒頭には、あの木下産商とともにインドネシア補償ビジネスをしていた東日貿易ジャカルタ支店長の興味深い証言が載っています。
 
1963年6月に、ローマにいたスカルノ大統領に届ける裏金が半分ぐらい届かなかった、というのです。
 
伊藤忠商事のニューヨーク支店で金を受け取り、東日貿易社長の久保正雄氏と、飛行機でローマに運び、全部久保氏に渡し、久保氏が米大使館脇のホテルにいたスカルノに届ける手はずだった。
 
ところが、
 
「半分は届いたと思うけど、30万ドルだか50万ドルだか足りない」
 
 ということで、この支店長氏は、久保社長が 取ったと思って東日貿易を辞めた。
 
という話です。
 
この元支店長という人も、「わかって」言っている可能性もあるような
方なんですが、久保社長は一時入国禁止になったそうです。
 
 
これは、インドネシアのデパート建設にかかわるリベートで、伊藤忠が商社で、ゼネコンは大林組で、スカルノに77万ドル、東日貿易に64万ドル払われる約束だった
 
っていうんですけど、これ、日本の税金ですよね。。
 
「米大使館脇のホテルにいたスカルノ」って気になりますよね。
 
瀬島氏は、宮家や宮内庁の信頼も厚かった とも書かれています。
 
まあ、武士同士を競わせて、漁夫の利を得た 公家ならば、薩長に徳川を退治させ、長州に薩摩を退治させ。。みたいにして漁夫の利を得ていても不思議はないですよね。 住友とか。。w
 
いずれも古い話で、今に繋がるかどうかわからないですが。。
 
御来訪ありがとうございました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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