御来訪ありがとうございます。
いろいろなことが猛スピードで起こっています。
ホント、追いつかないです。
そういう中で、日本は民主主義ではない、とか、民主主義の否定だ
というご意見をよく見ます。
管理人もそう思います。
思いますが、「なぜ?」と考えるとモヤモヤします。
やはり、「〇〇だから、民主主義が機能しないんだ」と理解することで
「こうすれば、民主主義が機能するようになるのでは?」 という方策が
見つかるのではないか?と思うので。。。
を、読んで、思ったことを、今回も。。(苦笑)
モヤモヤしていることを、誰かが、言葉にしてくれると
「そうよ、私が思っていたのは、こういうことなのよ!」 と
すっきりします。 すっきりすると、問題なのは何か?が明確になり、
具体策が浮かびやすくなる、という利点があります。
「すっきりして終わり!」 という欠点もありますが。。
良いお年をお迎えください。。 (できれば、合わせてご覧下さい)
橋本治 「今私たちが考えるべきこと」より (新潮文庫版)
69ページ
「今の世の中がへんはへんだがあきらめるしかない」という認識は
「世の中の主権者は自分じゃないからしかたがない」という前提に拠っているのである。これは民主主義ではない。
一方、「今の世の中はどうなっているんだろう?」の後が、あきらめではない「不満」で終わっている場合はどうなのか?
これは、「自分が主権者の一人であるにもかかわらず、自分の提言が一向に受け入れられない」という民主主義の嘆きなのだ。
ここで「あきらめ」が登場するのだとしたら、それは「私が主権者でないから仕方がない」ではなくして、「私の思考能力が未熟だから、提言したいと思う私の思考が、きちんとした提言にならない」という、主権者である自分への能力不足へ向けられる場合だけだ。
誰も、そういう考え方をしないからそういう「内実」がみえないだけで、実はそうなのである。
つまり、「私は社会を考えるが、社会は私を考えてくれない」は 「民主主義でありながら民主主義が達成されていない」ということに対する不満なのである。
(引用終わり)
このあとに、「対偶関係」で考える という1節があります。
(引用はじめ)
いるんだかいらないんだかよくわからない高速道路を、「作る金はある」という前提の下に、日本中に順繰りに作る。順繰りに作って、「次はウチの番だから作ってくれ。作ったおかげで借金がいくらになったかなんかこっちの
知ったこっちゃない」
というのは、社会が私を考えてくれても、私は社会を考えない」だろう。
「取るものは取る。私の取り分を取ることがまず大事で、全体のことは、私の取り分を取ったあとで、私を中心にして考える」というのは、民主主義以前からある、「権力者への寄生を公認する前近代的な政治体制」である。
これを一方においた場合、「私が社会を考えても社会は私を考えてくれない」は、「四十兆円もの大赤字がある中で、高速道路を作り続けたら国家財政は破綻してしまう、と言っているにもかかわらず、国家はまだ高速道理を作ろうとしている」 である。両者はきちんと補完するのである。補完して何を描き出すのか、といったら「民主主義でありながら民主主義が達成されていない、日本の前近代性」である。
(引用終わり)
橋本治さんは、ネットを見ていない方なので、財政については、齟齬がありますが、自分のことだけを考えて、投票する人と、他人のことを優先して考えて投票する人がいることが、 民主主義の達成を阻んでいるような気がします。
このあとに「見返りは相互に」という一節があるのですが、それを見て
「契約」という言葉が浮かびました。
(引用はじめ)
個人主義 自由主義 民主主義
人間は、社会的動物であり、相互依存関係にある以上、何らかの契約関係を結ばなければ生存できない。人間が全く他の存在を必要とせず、何ものにも依存せずに生きていけるならば、社会は成り立たず、法も制度もいらない。しかし、彼にそういう個人が存在しても、彼は、法や制度の埒外にあるから、法や制度の影響下にある人間にとって存在しないも同然である。だから、仮に存在したとしても、考察の対象から外しても問題にならない。故に、人間は、社会的であり、相互依存関係にあると定義する。
契約関係の根本は、信頼関係である。つまり、契約関係が成り立つためには、自己が、個人として自立していなければならない。さらに、契約する相手が、個人として自立している事を承認していなければならない。相互に信頼関係がなければ、契約関係は生じない。
契約関係の根本は、信頼関係である。つまり、契約関係が成り立つためには、自己が、個人として自立していなければならない。さらに、契約する相手が、個人として自立している事を承認していなければならない。相互に信頼関係がなければ、契約関係は生じない。
契約というのは、相手を信頼することによって成り立っているからである。つまり、契約社会は、信頼関係を前提として成り立っている。信頼関係が成立されるためには、自立した自己を前提としなければならない。個人として信頼関係が築けない関係には、契約関係は、成立しない。そこに、強制的関係が、はじめて生じる。強制的関係は、力関係よって決まる
(引用終わり)
これまた、難しいことが書いてある。。(苦笑)
ですが、契約なのですから、投票したり、税金保険料を取られている有権者にも、充分見返りがなくてはおかしいわけです。
他人を優先して、投票行動を決める方は、
「若い人のために、あるいは困っている人のために、自分らは我慢でき る」
と、自分たちへの見返りを放棄する。 その分は、自分のことだけを
考える人たちに、私物化されていくわけです。
民主主義は契約。契約の概念が抜けている上に、「他人様(ひとさま)のことを考える 和の体質」が、利用されているわけですね。
(引用はじめ)
79ページ
(エゴイストは昔からいる。 ここでいう近代は、戦後、前近代は戦前。戦後民主主義で、普通の国民にも権利の概念が現れて昔からのエゴイストは、自分たちだけが持っていた権利を奪われて、どうするか?に続いて、、)
近代が前近代のエゴイズムを強化する
エゴイストは、自分の既得権を奪って行った「権利」という概念を、自分の上にも適用すればいい。そうなったとき、エゴイストにとっての「権利」という概念は 「人から何かを奪い取ることに有効な武器」となるのである。
かくして、古くからのエゴイストは「権利」という近代設備で武装した「近代のエゴイスト」になる。こういう人間が大いなる力を持てば、「なるほど権利という概念はそういう使い方をするものなのか」という、概念の横流し状態が一般的になる。
そして、なんだかわからない社会が出来上がるのである。
(引用終わり)
国民主権で、誰もが平等な1票であるはずの「選挙権」という権利を
ありとあらゆる方法で、誘導して、「自分たちの権利」にしてしまう。
つまり、人の分の権利まで奪ってしまう仕組みが出来てしまっている。
戦後、米国が民主主義を日本にさせる時から、こういう風にすることを
考慮していたんだと思いますよね。
既得権者に有利になるような、「民主主義」とは何か? ということは
その国の始まりから「契約」である米国には、自明のことだったでしょう。
(引用開始)
167ページ
日本人は「その人の考えはその人の所属に大きく支配される」という思考原則をさっさとキャッチして、それを方法論として確立してしまっただけということだって考えられる。だとしたら、それはべつに日本独特の思考習慣ではない。
(中略) イラクの部族社会だってそういうことになると例を挙げています。
日本人の「自分の考え」は、それを取り巻く、「自分が所属する自分たちの考え」に大きく支配されている。「家族」やら「家系」やら「近隣」やら、「ここら辺では」やら、「会社」やら、それらを恣意的に統一した「日本人としての対面」やら、あるいは、「今の時代への適合」やら、「自分の仲間」やら、幻想的に設定された「自分の同世代」やら。
そういう、幾重にも重なる「自分の所属」の中で「自分の考え」はやせ細っている。 十二単をきたまんま身動きが出来なくなって、身体感覚をなくしてしまう昔の女みたいだ。
(引用終わり)
米国は、こういう日本人の様子を 理解して、天皇制を残したのでしょう。
「カルト (盲信状態)」と 「マルチ (上納システム)」ばかりの選挙
というご意見も読みましたが、まさに、自分にどんな影響を及ぼすか考え ずに、信じて応援している集団と、
自分だけは 守ってもらえると労力を
上納しているような集団が、勝った選挙でしたね。
インターネットの、ツイッター、ブログなどのツールは
上記で引用した
「幾重にも重なる「自分の所属」の中で「自分の考え」はやせ細っている。 十二単をきたまんま身動きが出来なくなって、身体感覚をなくしてしまう」
の自分の所属から 自分を解き放った状態で 読んだり発信ができるから、「考えも自由」になるのだと思います。
しかし、また、ネットの中での「仮想の所属集団」に気づかずに縛られる
という危険もありますね。 でも、ネットの中では、リアルと違って 安心し て、「試行錯誤」ができる。
民主主義は契約で、自立していないと契約は成立しない。
といわれても、いきなり、「自分のことだけを考える」ようになれるとも
思えません。
「自分のことだけを考えて、多数の権利を奪うのを当然としているような
人たちの手法」 たとえば、数を集める。金を集める。 団体を作る。とか も、まねしなくてはいけないのかもしれません。
少なくとも、官邸デモを無視した。
民意を無視したのは、明らかで、
「自分の権利は奪われて、私物化されてしまった」 ことに気がついた
方が、増えたと思います。
(引用開始)
184ページ
「他人の決定したマニュアルがなければ生きられない」という人間が増加しすぎたら、社会はその活力をなくす。 そして、「他人の支持に従わなければ生きていけない」という人間を養う力も失う」そして、社会から投げ出された「他人の指示がなければどう生きていくかさえわからない」という人間達は、暴走して治安を悪化させる。
(引用終わり)
前回引用したこの部分。
「暴走して治安を悪化させる」 人もいるかもしれませんが、どちらかといえば 「自分を責めてしまう人」の方が多いと思います。
自殺者の多さ、うつ症状の多さは、「自分には、健康で文化的な生活を
国民である限りおくれる権利があるはず」と考えられない人の多さでもあ るのでしょう。
管理人もまだまだ理解したとは言えない難しい本だったのですが、
それをブログにしちゃうというのも ムチャかもしれません。
わかりにくかったらごめんなさい。
(本、読んでいただいたほうが早いですね )
でも、考えてくださると嬉しいです。
御来訪ありがとうございました。