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あの共産主義者って、アノ共産主義?4

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一部を引用しています。
ぜひ、原典をご覧下さい。
 
(引用開始)
 
Independent Japan
 
日本側でも、特に陸軍は無条件降伏に応じるわけがない。ソ連が、4月5日に,日ソ不可侵条約を一年後の満期を共に破棄すると通告してきており、しかも、ソ連軍は極東への移動を開始していいたから、対日参戦の意図が読めた。5月2日にベルリンが陥落して、陸軍はようやくソ連との交渉に同意した。スターリンは、2月のヤルタ会談で、ポーランドの東三分の一と、日本の千島、樺太、大連を手に入れるという譲歩を,ルーズベルトから勝ちとっていた。絶望的になった日本は、スターリンとの交渉を始める。無条件降伏という米国の戦争方針が、日本の早期降伏を妨げ,スターリンが漁夫の利を締めるという可能性が明らかになり、無条件降伏の修正を主張したのが、国務長官代理で、前駐日大使のジョセフ・グルーであった。当時のステティニアス国務長官は、国際連合の設立に忙殺されていた。グルーは、スティムソン陸軍長官を、日本は、大正デモクラシー時代の指導者を復活させればよく、天皇制を破壊すれば、日本はよりどころを失って崩壊するという伝統的な終戦構想で説得することに成功している。グルーは、天皇制維持という条件付の降伏について、トルーマン大統領の了解を取り付けて、部下のドゥーマンにポツダム宣言の初稿を書くように命じている。立憲君主制を許すという条項をスティムソンとグルーが了承したのが、5月26日であった。6月いっぱい、トルーマン政権は、無条件降伏の主張を抑えたが、それは、アラモゴードにおける原爆実験の成功か否かを見据えようとしていたからである。7月上旬に国務長官がバーンズになり,ニューディーラーの次官補を据えた。アチソンは、日本を共和国にすべきとする人物であった。ポツダム宣言の最終稿からは、スティムソンもグルーも除外され、7月26日にポツダム宣言が発表される。グルーは8月に、スティムソンは9月に引退する。ポツダム宣言は、戦後史の中では、天皇の護持が許されたとしており、外務省も、条件降伏だと主張したいたが、50年6月のダレス来日以来、無条件降伏と修正している。一番肝心なことについて、ポツダム宣言は明言を避けていた可能性がある。二股膏薬、ダブルオプションであった可能性はある。
 
 
 
 
 
 
降伏後初期対日政策が、マッカーサーから日本側に密かに手交されたのが、9月下旬であった。その文書が、スウィンク15-の4と呼ばれる。スウィンクとは、1944年に各省の次官で構成される国務・陸軍・海軍連絡委員会を指す。
 スウィンク150の4の最も過激なものが、追放―パージであった。アングロサクソンの社会では、人間関係をいじくり回すことをソーシャルエンジニアリングと呼んで忌み嫌うが、それを日本で行うこととしたのである。日本の政治構造を根っこから引き抜いて,社会主義のイデオロギーが入っていて、米国内ではとても実行できないことを、実行しようとした。近年、日米構造協議が通商代表部と商務省で、ごり押しが見られるが、占領に伴うことであるから、実に過激なものである。財務長官のモーゲンソーが主張したドイツの牧場国家への残酷な計画の一部などが盛り込まれていた。一方では、ポツダム宣言を逸脱しているという意見もあった。今になって天皇制を廃止するのは、裏切りになると主張するグルーの配下の日本通もいたし、アチソンのミラー特別補佐官のように、ポツダム宣言が軍隊の無条件降伏を要求したことは認めるが、その後の両政府のノートの交換によって無効となったように見えると述べた者もある。
 
 
 
 
 
10月4日には、政治犯の即時釈放、思想警察の全廃、内務大臣と検察首脳の罷免、弾圧法規の撤廃が命令された。内閣は辞職したが、後任は幣原喜重郎で、マッカーサーが選んだ首相である。吉田外務大臣がアグレマンを取りに行っている。10月25日には、バチカンを含む6つの中立国と日本とが外交関係を断絶するよう占領軍は命令した。日本は外交を行う権利を喪失して属国となった。連合軍最高司令官の政治顧問が、駐日大使の役割をして国務省の役人が出向した。グルーは、ドゥーマンを任命するつもりだったが、失脚したために、バーンズ国務長官は,中国通のジョージ・アチソンを任命した。マッカーサーを監視するために東京に派遣したと言われる。10月に、エマーソンとEHノーマンが、直接府中刑務所に出向いて、政治犯16人を釈放している。カナダ人のノーマンは、日本の歴史を専門とする学者であったが、理論をそのまま実践することで、日本共産党の理論である講座派の理論を虎の巻にした。1932年にスターリンが天皇制打倒のテーゼを出し,二段革命論を主張するようになったが、ノーマンは日本叩きの代弁者となった。統合参謀本部のケージス中佐もノーマンの本を聖書のようにしていたし、オーエンラティモアは、ルーズベルトに影響力があり、中国共産党びいきで、日本の降伏直前に天皇断首を唱える過激さであったが、ノーマンの本を虎の巻にしていた。ノーマンの事務所に共産党の幹部は入り浸りとなり、ノーマンは、その情報を下に、A級戦犯の起訴状を書いている。近衛文麿を自殺に追いやったのもノーマンである。
共産党幹部は、府中刑務所をでるなり、連合軍は解放軍だと主張している。総司令部はこれを黙認している。生産と経営とを乗っ取らせる生産管理運動を開始したのも総司令部で、共産党の労働組合の連合組織である産別会議を総司令部は奨励した、瞬く間に、組合員が400万人となっている。ノーマンには、後日談があり、朝鮮戦争と冷戦で、統一戦線の世界が逆転して、マッカーシー旋風が吹き荒れるとカナダ人であったノーマンはカナダの駐エジプト大使となっていたが、自殺においこまれることになった。ノーマン著の日本の兵士と農民、と題する本は、岩波書店から日本語に翻訳されて出版されていた。日本語に翻訳した大窪氏は、戦後長い間カナダ大使館の政治顧問であった。
 
 
 
1947年3月にトルーマンドクトリンが出され、米国では戦後政策の見直しが始まっていた。ジョージ・マーシャルが国務長官となり、ジョージ・ケナンを初代の国務省政策企画部長に据えた。ケナンが、Xのペンネームで、封じ込め政策についてフォーリンアフェアズ誌に寄稿した記事は有名であるが、力の均衡による政策である。ケナンのいう力とは政治的な力であって、イデオロギーの正反対であった。ケナンは、ルーズベルトと、ニューディーラーのイデオロギーとの決定的な批判者であった。ケナンほど、スウィンク150の4を批判した者はいない。リアリズムの中核にあるものは、主権国家とその背後に或る特殊な歴史に対する厳粛な態度である。ルーズベルトの唱えた最終の平和など求めてはならないとケナンは主張する。マッカーサーと国務省の立場が、ケナンの登場によって逆転した。ケナンは、48年4月に訪日しているが、占領行政の過激さに驚いている。パージを全体主義的と批判している。日本の工場施設が,中国共産党のために、船積みされている実態をこきおろし、日本語と華族制度の無意味な維持繰り回しも批判している。東京裁判についても,続けていることにいらだった反応をしている。東京に着いたケナンと陸軍次官は、マッカーサーと会見して再軍備の話を持ち出したが、マッカーサーは怒りを隠さずに、再軍備反対を主張した。再軍備に反対しながら、日本の早期講和と独立が緊急の課題だと主張した。ケナンは、ソ連が日本を採らなければ済む話で、米国が占領を継続する必要はなかった。例外は沖縄だけだった。ケナンは後に、アメリカはその逆をやったのではないか、アメリカが先に日本をとり、ソ連が朝鮮半島を採ろうとして、朝鮮戦争が始まったと推測している。
 
 
 
 
マッカーサーは逆コースに反対であったとする説があるが、正確ではない。マッカーサーはつまみ食いをしたのである。社会党を擁護する目的があったから、産別潰し、レッドパージを行い、世界が冷戦になり、両極化するにつれて、中道を守る為に社会党を補強しようとした。マッカーサーの憲法には敵が三つあった。ひとつは、ケナンであり、一つは再軍備を要求する統合参謀本部で、もうひとつが、新憲法に反対した「保守反動」の吉田茂であった
 
(引用終わり)
 

あの共産主義者って、アノ共産主義?5

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一部を引用しています。
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(引用開始)
 
 
1909年に、在日カナダ人宣教師のダニエル・ノーマンの子として長野県軽井沢で生まれる。その後カナダのトロントに移り、トロント大学ビクトリア・カレッジに入学、この頃より社会主義への傾倒を始める。
1933年ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学。歴史学を研究し1935年に卒業。その後ハーバード大学に入学し、エドウィン・ライシャワーのもとで日本史を研究しつつ、学友で「社会主義者」を自称した都留重人などと親交を結ぶ他、学友を社会主義活動へ勧誘し続けた。
 
 
第二次世界大戦後、アメリカからの要請によりカナダ外務省からGHQに出向し、1945年(昭和20年)9月27日からの昭和天皇マッカーサーのGHQ側通訳を担当した。連合国軍占領下の日本の「民主化計画」に携わるかたわら、学者としても、安藤昌益の思想の再評価につとめ、渡辺一夫中野好夫桑原武夫加藤周一らと親密に交流した。
1946年8月には駐日カナダ代表部主席に就任する。その後1951年9月にはサンフランシスコ対日講和会議のカナダ代表主席随員を務め、その後カナダ外務省本省に戻る。
 
 
その後、第二次世界大戦後の冷戦下のアメリカで起きた赤狩り旋風の中で共産主義者の疑いをかけられ、アメリカの圧力を受けたカナダ政府による審問を数回に渡って受ける。
 
しかし、都留重人を取り調べたFBI調査官によるアメリカ上院における証言によって「共産主義者」との疑いを再度かけられ、1957年4月4日に赴任先のカイロで飛び降り自殺を遂げた。
 
最近では冷戦崩壊後における「ベノナ」などの機密解除や、当時の関係者の記録などからソ連スパイであったという疑いが確実となっている[1]。しかし、カナダ政府は生前からノーマンのスパイ説を否定し続けており、「ベノナ」の機密解除後もノーマンに関する機密情報を現在も公開していない。なお、カナダ外務省はノーマンの「功績」を称えて、2001年5月29日に東京都港区赤坂にある在日カナダ大使館の図書館を、「E・H・ノーマン図書館」と命名した。
 
 
 
A級戦犯とGHQ民政局【20091224】
 
 
A級戦犯は誰が決めたのか?
これは、マッカーサーの政治顧問、アチソン外務局長(朝鮮戦争の頃のディーン・アチソンとは別人)、対日理事会の議長。
この、ジョージ・アチソンは東京裁判をマッカーサーと仕切った人物でもある。
で、協力したのが、カナダの外交官、ハーバート・ノーマン。
日本共産党の幹部と関係あり。
ジョージ・アチソン→部下のロバート・A・フィアリーと、ジョン・エマーソンがノーマンと協力して決めたのがA級戦犯になるわけ。
 
共産主義を育てたアメリカ、言わずもがな、GHQ民政局路線である。
その証拠に、リチャード・B・フィンの著「マッカーサーと吉田茂」によれば、「東京の政治顧問、ジョージ・アチソンは、1946年1月4日、トルーマン大統領に対して『日本を完全な民主主義国家にするには天皇制は消滅しなければならない』と書簡を送った。」そうである。
 
 
A級戦犯は、CIA側が決めて、自作自演で釈放→手先と考えた人は、考え方は合ってるよ。
この間、小沢とやりあった今の宮内庁の長官?の彼や、財務省のロックフェラー路線とノーパンしゃぶしゃぶの関係のように。
 
でも、残念。
馬鹿右翼どもが、東京裁判あたりで騒ぐように、戦犯探しは、ロスチャイルド路線が、やったことなのよ。
そう、社会主義者、賀川豊彦の「神の国運動」に代表される、天皇制撤廃側の戦後統治と平和憲法9条というの「お花畑の国」的な、統治をGHQ民政局はやろうとした。
 
 
GHQ民政局は、ここでも日本共産党と関係が深いノーマンの名前が出てくるし、賀川、IPRやニューディーラーなどの、民主主義の構想を語ってるくせに、中身は社会主義者という奴らである。
 
 
そう、こいつらに岸、笹川、児玉は、文字通り首の皮一枚まで、追い込まれたのである。
こういう簡単で、明確な構図があるのに、対立論がないと言ってる奴もいるけどね。
CIAに拾われなかったら、殺されていたのに、岸などの右翼路線が、この社会主義者達と「仲良くやっている」と主張するのである。ありえないでしょ?
 
対立論なんて、簡単な構図だ。
 
この構図は、欧州から追い出されたポーランド系などのアシュケナジーユダヤでも多くみられるし、ホロコーストのナチスという形で、戦後ロスチャイルドに捨てられた=責任を背負わされた、→アメリカで構成される「Dロックフェラー陣営」というのも同じことである。
 
 
だから、自分は「ロスチャイルドVSロックフェラー」という構図を主張してるわけです。
それは、右手の事は左手に、左手の事は右手から教わればいいだけの話。
 
(引用終わり)

あの共産主義者って、アノ共産主義?6

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一部を引用しています。ぜひ原典をご覧下さい
 
(引用開始)
 
Independent Japan
 
国務省は、占領とマッカーサー体制が続く限り、日本から閉め出される。だから、日本を「独立」させることに興味を持ったのではないのか。マッカーサーも同じで、フィリッピン化構想とおなじように、日本を米国の裏庭に置くことによって、米国の保護を受けるようにすることであったから、寛大な講和に賛成して、事実上の平和の太平洋条約にも反対した。マッカーサーは、国務省と国防省との対立に乗じて、その調停役の役割を果たした。1949年5月に、米国は沖縄を恒久的に軍事基地にするという決定を下している。沖縄で、日本の中立と安全を全うできると考えて、東洋のスイス論を展開しているが、一方、ワシントンでは、石頭のドンキホーテとも揶揄する向きも出るようになっていた。マッカーサーは、1949年九月には、独立後のコントロールを撤廃すると新講和構想に変更している。その構想によって、講和条約と軍事条約の日本立てが登場することになる
 
 
1948年頃から、米国の世論は、親日的に変化していたが、10月に人民解放軍が、朝鮮戦争に参加するようになってから、一挙に親日となる。「あれだけ抗日を応援したのに、恩を仇で返すのか。裏切りだ。国務省に赤の手先がいるんだろう。」と後のマッカーシー上院議員の反共魔女狩りに発展する。本当の敵は中国だった。日本との戦争は間違っていたということで、We fought the wrong enemyという言葉が人口に膾炙した
 
ケナンは名著、アメリカの外交政策の中で、「我々のアジアにおける過去の目的の全てが達成されたように見えるのは皮肉なことです。西欧諸国は中国における特殊な権益を最終的に失い益した。日本人は中国から退出して、満州と朝鮮からも退出しました。これらの地域から日本人が退出した結果は,まさに、賢明で現実主義的な人々が長いこと警告してきたとおりです。今日、我々は、日本人が韓国と満州で半世紀にわたって直面した問題と責任を背負い込むことになった。他人が背負っていたときに我々が軽蔑していた,その重荷に感じる我々の苦痛は,当然の罰である。」と書き残している。7月8日、マッカーサーは、独断で、ワシントンと協議することもなく、国家警察予備隊7万5000人の創設を命令している。ダレスは、日本人の志願兵からなる義勇軍部隊を組織することを考えたが、マッカーサーは、国連義勇軍の芽を摘んでいる。警察予備隊の海外派兵はあり得ないとした。
 
 
第十二章 ナショナリズムとプロパガンダ
 
マッカーサーの占領初期には、ノーマンの例に見られるように、ニューディーラーを中心とするマルクス主義者がGHQに深く関わり、反米ナショナリズムと結びついて、日本の世論を支配していた。ダレスは、日本におけるインテリが余りにも現実離れのした平和主義と中立志向に驚いていたが、東部出身のエリートとしては、日本人に新しいイデオロギーをつくって与えようと企画する。そして、国務省は、戦時中、占領計画の立案に参加して,ハーバードで日本研究で頭角を現していた、デドウィン・ライシャワーにこの企画を委託する。ライシャワーは、ポツダム宣言起草の過程で、グルーやスティムソンの天皇制護持の動きを支持していたこともあり、ライシャワーは、日本の新憲法の成立の由来を知っていた。
 
ライシャワーのプロジェクトに参加したのが、プリンストン大学のマリウス・ジャンセン、エールのロバート・ホール、ハーバードのアルバート・クレイグなどがいた。アメリカにおける日本史の修正に向かう。日本をより肯定的に見せて、日本人の劣等感をぬぐい去るか、その回答が,近代化、モダーニゼーションと言う切り口だった。日本は、アジアで一番先頭に立って近代化西欧化を果たした英邁な民族と言う理解になった。アメリカの日本研究者は,寺子屋の教育制度に目を見張るようになる。軍国主義は,日本の近代化の過程では逸脱したことであり、歴史の必然ではなかったとした。日本の経済的な軌跡の秘密を、徳川時代の伝統文化の中に見つけ出した。近代化は、資本主義的な経済万能主義となり、ナショナリズムは否定され、マルキシズムはタブーとなる。近代化論は、高度成長を推進するイデオロギーとなり、これが吉田とライシャワーを結びつける契機となった。
ダレスは、日本の歴史を修正するために、ライシャワーにたのんだのであるが、近代化の考えは、むしろ、ダレスの足をひっぱり、憲法を再軍備の圧力から守る為に、日本の伝統の中に郡国主義が残っているとするライシャワーはマッカーサーの方向に味方することになった。箱根会議は、丸山真男と大塚久雄の東大を敬遠して、京都大学の政治学者、高坂正堯を日本側の代表とする。こうした学者が、モラトリアム国家や吉田ドクトリンを支持して、吉田学校の応援団の役目を務めている。
 
 
占領は解放だとするのは、定義の問題であるが、現実は制裁であった。天皇陛下の命を救ったのは、それ以外の占領政策を日本に押しつけるための交換条件であった。マッカーサーは日本を12才の少年として、厳しいしつけを試みたかのようである。
占領が寛大だとされるようになるのは、安保条約改正の騒動が終わり、岸信介が失意の内に引退して、吉田の勝利が確立する時点で始まっている。初期の安保条約が,吉田に対する制裁であったことなどはひた隠しに隠された。現在の日本では自由民主党の創設者は、吉田茂ではなく、鳩山一郎であることを知る人も少なくなっている。日ソ講和交渉を,外務省と吉田が一緒になって潰したことも体よく伏せてある。満州事変から敗戦まで、悪いことは全て陸軍がしたことに名手、外務省は良いことばかりしてきたようになっているが、幣原外交などは、かなり機会主義的であるが、日本外交の典型のようになっている。日ソ講和を潰すのに、ダレスも一枚噛んでいるが,それも伏せられてきた。米国の介入は、全て日本側で自主的に行われたことにされた。パージのことなどは表に出てこない。マッカーサーの回顧録には追放・パージの一言も出てこない。
 
 
 
エドウィン・O・ライシャワー
 
1910年明治43年)10月15日キリスト教長老派教会宣教師で、東京女子大学創立にも関わったオーガスト・カール・ライシャワーの次男として東京府東京市芝区白金台町(現在の東京都港区白金台)の明治学院内宣教師住宅で生まれる。
 
なおこの頃のテニス仲間に、その後「赤狩り」で共産主義者の疑惑をかけられ(実際に共産主義者であった)自殺に追い込まれたカナダ人外交官のエドガートン・ハーバート・ノーマンがいた。
 
1946年(昭和21年)にはハーバード大学に戻り、極東学会の副会長、会長を歴任する。なお、ハーバード大学時代の教え子にはジミー・カーター政権の国家安全保障問題担当大統領補佐官を務めたズビグネフ・ブレジンスキーらがいた
 
 
1955年(昭和30年)にアドリエンが3人の子供を残し急逝し、1956年(昭和31年)には、明治時代元勲松方正義と、生糸貿易の先駆者で元横浜生糸会社会長の新井領一郎の孫、さらにアメリカンスクール・イン・ジャパンの後輩である松方ハル (1915年8月6日 - 1998年9月23日)と日本において再婚する。
 
(引用終わり)
  
なんだかライシャワーさんて、詰まった 方ですねえ。。
 

本 ナインティーンズ  ぼくたちの近代史

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御来訪ありがとうございます。
 
「悪女について」と、「新しい公共」②
 
 
④男性原理から女性原理へ
 
についてです。
 
ナインティーンズ(1991年)は河出文庫から出ているのですが、画像  がありません。
 
いくつか引用してくださっていた方がいたので、ご参考に。。
 
 
 
 
 
 
 
男性原理から女性原理へ
についてなんですが、正確には、こう書かれています
 
 
(引用開始)
 
 
男性原理というのは「一人の家父長に終結する一つのトーン」として
「必然として全体主義に向かう頂点構造」の原型のようなもんです。
だから、結局1989年のドミノ倒しは最終的には 『ここ』 まで行かざ るを得ない。 『ここ』 と言うのは、勿論 「家父長制を基本とする、  旧来の男性原理の崩壊」ですね。
 
「今までの歴史を支えていた男性原理は崩壊して今までという歴史  時間は徹底的な検証を迫られる」というところに行き着くしかない。
これが私の読みです。
 
 
(中略)
 
 
 
旧来の男性原理の崩壊というのは、別に女性原理のたい頭という
事態を招くわけじゃないですね。そういう風に考えている人もいるか もしれないけど、男性原理の崩壊というのは、別の言葉で置き換え  れば支配者の崩壊なんだから、「これからはお父さんの代わりに母さ んがこの家の代表者になる」ということじゃない。
 
(中略)
 
 
「子どもが成人して、その両親はどちらも外と関りを持っている」とい う形になって
「成人した人間をいつまでも子ども扱いするのはへんだ、妻が独自  の関係を社会と持っているのにいつまでも独立した人格として扱わ  ないのはへんだ、かつて家長と呼ばれた男だけが全ての責任を負わ されるのはへんだ」という状態になった。
 
それが 『今』で『これから』だというだけのことです。
 
(中略)
 
男性原理というのは『男と女』という見方をしないで、その与えられた 役割によって、『男と女』を位置づける、かなり社会的な(あるいはイ  デオロギッシュな』考え方です。
 
(中略)
 
「こうした役割を規定するのが人間である」というのが男性原理で   す。男性原理の男性原理たるゆえんは、こうして一切を 『人間とは 男という性を持つものであることを原則とするもの」という考えで仕切 っていることで、この男性原理が今、崩れようとしている。
 
(中略)
 
男性原理の崩壊を、「所詮俺には関係ない女だけの問題」と考えて いると大間違いで、『性差』 というのは男性原理の横軸に過ぎませ ん。ここには『国家』というとんでもない縦軸が隠されている。
 
 
 
(引用終わり)
 
もう一冊は、1988年にでた 「ぼくたちの近代史」河出文庫です。
 
 
検索結果ですが、講演音声もあるようです。
 
 
(引用開始)
 
 
それと、心理的な理由ね。ピラミッド構造があるってことは落ち着くん だよ。誰かが身体張って、シンボルなり、権力なり、支配者なりをやっ てくれてると、下の人間は、それによっかかったり協力したり反抗し  たりして自主性のない人間としては楽だっていう子どもの発想なんだ よね。お父さんが身体張ってお父さんやってくれてれば、僕達は の うのうと『僕達』やっていられるって。だからお父さんがいなくちゃダメ なんでしょ。
 
 
で、お父さんがいなのが今で、「それは困ったね」で、お母さんが    
頑張るわけね。お母さんは今、ピラミッドの頂点に立ってる。でも、お
母さんのピラミッドって違うんだよね。
「お母さんが働いているのに、僕だけ遊んでいてはいけない」ってい
う風になるからさ、このピラミッド構造は歪んでくるんだよね。
 
 
だから今や 「後家の時代」なんですよね。
父親であるようなものは、天皇を別にして、みんな死んじゃったの   ね。死んじゃったもんだから、母親というのは、後家という形をとるし かないわけ。生きているんだけれども、父親はいるんだけども、死ん でるわけ。
 
(中略)
 
 
しっかりものの母親がいるのね。でも その夫は、「息子」という形で いるわけで、日本の男が女を母親にしてしまったっていうのもあるん だけど、逆に日本の男を子どもにしてしまうような強さが日本の母親 にもあるということでもあるわけね。
 
(中略)
 
 
でも、困るのは、男が母に押さえつけられてしまったら、永遠に子供 なんだよね。
 
(引用終わり)
 
 
と、このような文章となります。
 
管理人が、かなり橋本治さんの影響を受けているのは、このブログ  にも何度も登場していることから、推測できると思います。
 
 
 
この方の作家デビューの 、
 1977年の小説桃尻娘』(第29回小説現代新人賞佳作 
 
なんですが、父親の読んでいた小説現代を盗み読みしていた小学  生の時に、偶然読んでいるんですね。
 
圧倒的に本が不足していた 「田舎」だったので、ついオトナの本に も手を出す。 で、川上宗薫 とか、宇能 鴻一郎とか、山田風太郎と かを、意味もわからなけど読んでいた。(あとで、役立ちましたよw)
 
 
バブルの前の広告ブームの時代に、また橋本さんは出てきて
追いかけて読んでいたんですが、当時は、難しい話になると読み
飛ばしていたんですよね。
 
ですが、自分の 「なんかヘンだ」「なんかおかしい」 という違和感を
 
 「ああ、こういう考え方、見方もあって、自分が違和感を感じるのは
 別にへんじゃないんだ」
 
という存在であったわけです。
 
ウィキをご覧いただくとわかりますが、出されている本が膨大です。
 
全部を読んでいるわけではありません。
 
 
「上司は思いつきでものを言う」が、20万部売れて、話題になり
あらためて、昔の本を読み返して、
 
「こんな大事なことを書いていたのに、見過ごしていたんだ。。」
 
と、気がついた次第です。
 
 
小林信彦さんが、「橋本治は、ずぅっと啓蒙をやっている。」と
気の毒そうに書いていたこともあります。
 
 
その「啓蒙をやっている」という点では「小沢氏」と同じなんだけど
マジョリティには、なかなかならないというところが似ています。
 
橋本さんは、最初の湾岸戦争の時に、
 
「攻撃されたイラク。アレは、日本でしょ。空襲された日本でしょ」
 
と、平和憲法があるのだから、兵も金も出すべきではない。
 
と言う立場で、「血を流せ」と発言した小沢氏を批判します。
 
 
これは、虚空と君のあいだに 様がおっしゃる 「お花畑憲法」なのか もしれませんがそういう手もあったはずなんです。
 
 
ちなみにこの本の中で、こういうときは、内閣とかを混乱させて国内 まとまらないからで、しのげばいいのに。。
なんて書いてます。
 
 
 
また、最近の本では、陸山会事件 について 東京地検、や裁判所 を批判しています。
 
ですが、小沢氏については、
 
「説明したと本人は言っているけれども、それが伝わっているとは
言い難い状況で、もう説明した としてしまっていいのか?」
 
と、疑問を投げかけます。
 
全員が、ネットを見られる、ネットを見ても、その情報を取りに行くと   は限らないという現状で、これは妥当な意見です。
 
 
では、説明をすることは?
 
 
 
 
橋本さんは、橋本さんが必要だと思ったことについては
すべて、橋本さんから見て、フラット(公平)にして、構造を分析して
組みなおし、図式化して、類型化します。
 
だからとんでもないたとえ話が出てくる。
 
「キリスト教は、全共闘だ」
 
とか。。
 
しかし、自分の言い出していることは、一般から見れば、突拍子もな いことだと知っている。だから説明が長くなる。
 
ところが、長い説明に、多数の人は耐えられない。
 
「なんとかなっているんだからいいんじゃないか」
 
で、先送りしてきた。
 
 
 
説明をしない ≒  説明が無駄に終わることを知っている。
 
説明を詳しくする ≒ 長すぎるから当事者以外は必要とされない。
 
で、結局 説明内容は、広く伝わることにならない。になるんですね。
 
 
と、話は脱線しました。
 
 
 
男性原理から女性原理へ 今は後家の時代と橋本さんが書いてか らもう20年あまりたつわけですが。。
 
勘のいい方なら、もうお分かりだと思うのですが 「時代を動かしてい る後家が、また男性」なんですよね。
 
次回に続きます。。
 
 
 
 
 
 
 
 

後家の時代

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御来訪ありがとうございます。
 
 
「悪女について」と、「新しい公共」②
 
 ↓
 
本 ナインティーンズ  ぼくたちの近代史
 
の続きです。
 
 
 
1 生存欲求と種族保存の欲求
 
 
ここからは、橋本さんから離れて、管理人の考えとなります。
 
 
 後家の時代の 「後家」とはなんなのか?です。
 
 
 生き物の根本的なところで、
 
生存欲求
 
種族保存の欲求
 
があるというのは、誰もが認めることだとおもいます。
 
 
原始的な共同体に当てはめると
 
外敵からエリアを守る。
 
次世代を生んで育てる。
 
で、共同体が継続する。
 
 
男性と女性というのは、この役割を体現していたんではないか?
 
と思うんです。
 
外敵と戦うという時に、その共同体の女性が死亡してしまったら、その共同体は、存続できない。
 
出産は、昔、命がけのもので(今では別の意味で命がけになっていますが)、戦闘も命がけのものですから、男女は、上下関係ではなかったかもしれません。
 
 
 
一方、労働の方は、現在でも、農家、漁業、自営業見ればわかりますが、育児 授乳中であっても、働いています。
 
昔は、食べるのが大変だったはずですから、休んでていいのは病人だけで、子供だって働く。
 
そこでは、男は力がある。 女は男ほど力がない。 という効率による
役割分担であって、上下ではなかった、かもしれないんですよね。
 
卑弥呼とか、クレオパトラとか女王もいますし。。
 
 
共同体、家の財を守るために、近親と結婚するというのは今でも
あるみたいです。
 
古事記にも出て来ますが、異母のきょうだいの婚姻は許されても、同母の兄弟の婚姻は罰せられた。
 
近親相姦を防ぐという社会のしくみは、世界中で古くからあるらしく
「健康な次世代を生んで育てる」というのは、共同体にとって、重要な価値だったと 思うんですよ。 昔はね。
 
 
 
 
2 戦闘の勝者の論理
 
外敵から共同体を守ったというのは、共同体全体から感謝賞賛されるはずです。 そういう人がリーダーに選ばれるのは、当然です。
 
ところが、リーダーになれば、自分の「生存欲求」と「種族保存の欲求」を、共同体の他の構成員よりも、優先するようになる。 すなわち世襲ですね。 ここで、リーダーの血を受け継ぐ子供を生む女性というモノ全体に、縛りがかかるわけです。 息子、娘の場合でも、影響力が及ぶ婿というところで、娘の管理も必要になる。
 
ここで「家父長権」が生まれる。
 
その世襲の後継者が、誰もが認める「有能」ならいいのですが
そうでない場合、どうするか?
 
そこで、「神格化」や、「イメージ作り」が行われるわけです。
 
奇跡を起こしたとか、庶民と同じように質素だとか。。
 
 
これは、男性に限らず、女性が戦闘の勝利者であっても同じで、
 
持統天皇は、自分の孫に天皇の位を渡すために、まず 姉の息子の
大津皇子を殺し、他の天武系の皇子を、律令外の役職を作って臣下の立場に追い込む。
 
皇子が生まれると、金鉱が見つかったとか、めでたい文字が甲羅にある亀が見つかったとか、いろいろイメージを作って、後継者にふさわしい人物と思わせたんですね。
 
しかし、戦闘の勝者というのは、圧倒的に男性ですから、男性の
都合の良いように、ルールが決められるのは、そういうことなんでし ょう。
 
 
 
 
3 非戦闘員の内訳
 
 
戦闘に行かないのは女性だけではありません。
子供、老人、戦闘では役に立たないと思われる男性。
しかし、戦闘に負けたとき、共同体を存続させるために共同体のことがよくわかっていて、なおかつ、父親になれる男性、つまり守りを固める男性というのも、戦闘に行かないですね。
 
時代劇でも、留守居役とか、籠城のために、有能なナンバー2を残留組にしますよね。
 
いざ、戦闘で負けたら、「持てるだけの荷物を持って、泣き叫ぶ子供の
手を引いて、女性、老人を引き連れて」 新天地に逃げて、共同体を立て直すための男性です。
 
 
外敵でも、内紛でも、武が得意なリーダーと、事務、根回しが得意なナンバー2の組み合わせで勝つことが多いです。
 
そうでなくとも、戦闘に勝って、ナンバー1がリーダーになり、男性原理ができた時、ナンバー2は、男性なのですから、当然とばかりに家父長権を行使します。
 
かくして、戦闘もしないのに、家父長権を行使する つまり、代償を払わずに、権利だけを享受する男性ができあがるわけです。
 
 
 
 
 
4 ナンバー2的なものの発展
 
代償を払わずに権利だけを享受する、ナンバー2は、次の戦闘の時には、駆り出されるかもしれませんが、実務を握っているので、死なれたら困るという存在ですから死ななそうな所にいける。 そのうち戦闘なんか強いやつにやってもらえばいい。 になるのは必然です。
 
ナンバー2は、王に対する官僚であり、神に対する教会ですね。
 
 
そういう姿を見てれば、『アレが一番特じゃん!』
と、まねする人間が増えても不思議じゃない。
 
その実務を預かるナンバー2と一番接触する商人ですね。
 
 
ところが、ナンバー1が共同体の大絶賛とかを受けて 強大な権力を持っちゃうと、ナンバー2は、切られちゃう可能性もあるんですよね。
 
だから、ナンバー2は、ナンバー1に、強い権力を持たせない。
 
欧州や中国では、王朝が交代しますが、日本では王朝の交代がない
というのは、天皇が、国の主であると、国の住人は思っているが、その権力は、天皇にはなかった、という証明みたいなもんで、交代するのは、ナンバー2なんです。
 
王政というのは、王が絶対権力があるので、平気で踏み倒し、没収なんてされちゃいます。そういうのはナンバー2は困るわけです。
 
しかし、共同体の構成員に ナンバー1は偉いと思ってもらえなくては困る。
 
 
 
神格化できて、多くの人がこれはいいものだ と信じてくれるなら人でなくたっていいわけで、 共産主義とか、市場原理主義とかのイズム
ですよね。
 
後家の時代とは、非戦闘員の男性が、男性原理で動かしている今なんです。
 
 
 
 
5 なぜ、共同体の存続を考えないのか?
 
 
フランスや北欧では、少子化対策が取られて、成果を上げています。
 
非戦闘員 ナンバー2が、男性原理で動かしている 日本では、どうして 共同体の存続を図る 少子化対策がとられないのでしょうか?
 
それは、日本を動かしている 「後家さん」達が、元々、欧米コンプレックスから発生しているものだからですね。
 
薩長は、欧米と戦争して負けてるんです。 それで、明治政府を作って先軍政治で頑張りますが、太平洋戦争で負けますね。
 
経済で頑張りますが、それも負けますね。
 
彼らの出世のゴールは、「日本人でなくなること」 「グローバルな人になること」なんで、自分で「自分はグローバルな人間だ」と思ってしまえば、日本は、守るべき共同体じゃないんです。
 
だから、日本国という共同体の存続なんてどうなったって構わない。
 
むしろ、移民を入れて、競わせるとともに、「共同体色」を薄くすることを推進する。 共同体意識で、団結して、反抗されることを恐れるからです。
 
 
 
 
6 治安維持法が戻ってくる意味
 
 同時多発テロみたいに、売国と、戦争と、国内統制が迫っています。
 
 「でも、困るのは、男が母に押さえつけられてしまったら、永遠に子   供なんだよね。」
 
 の文脈は
 
 「でも、困るのは、「国民」が、「後家」に押さえつけられてしまったら
 永遠に子供なんだよね」
 
 にも、通じます。
 
 派遣法や、原発事故対応などで、国民は、後家に 疑問を持ち、
 反抗して、自立しようとする。
 
 12歳といわれた国民を、いつまでも12歳のままにしておきたかった
 後家さんでしょうが、子供だって成長する。
 
 そういう 「子供」を押さえつけて、「子供のままにしておこう」というの が 国家統制の強化ということになります。
 
 必然の流れです。
 
 
 
 
7 女性原理とはなんなのか?
 
 
女性原理というのは、まだ誰も考えてないんじゃないですかね?
 
働くというのは、男も女もノンセクシュアルであるということで、乳飲み子がいても、女性は働いていた。 
それは、家族の人数が多くて、あるいは、出産、産後の間、乳母とか、手伝いの人を雇うという人海作戦だったわけですね。
 
武家社会の男尊女卑が、明治になって一般にも広がったという話ですけれど、家事が、機械によって楽になった反面、女性が、PTA,町内会、ボランティアという「無償の労働」を担ってきた、ということが
案外、忘れられているような気もします。
 
男性とまったく同じ権利にしろって、要求しても、男性の方が
会社では、部下(女子供)扱いなわけですから、女性が生きやすくなるわけじゃない。 むしろ、男性、女性一緒に 雇用される方の地位は下落する。
 
子供を持つ持たないは、個人の自由で、 女性が選択すればいいんですが、子供を持ちたいと思っている女性(別に夫婦、カップルである必要なんかない)が、持てないという状況がある。
 
 
母体(母体となる可能性のある女性)を戦士にするよりも、その金にカウントは出来ないが、 共同体(社会)の存続のために欠かせないものとして、 出産をしない周りの人間がサポートするにはどうしたらいいか?って、発想にどうしてならないんだろ?
 
 これは、後家さんという上の問題じゃなくて。。思う。
 
 
人間の権利は平等なんだけど、その行動は、石ののような硬いフィフティフィフティじゃなくて、その時、その時で、30対70になったり、90対10なったりする可変で、お互い様っていうのが、なくなっちゃったのかな?
 
 
「お父さんが死んだことになっていて、後家さんも、責任は取らない。
だから、みんなが、そうなっても不思議はない」 んでしょうが、それじゃ救いがないですよね。
 
 
いつまでも子供じゃいられない。。
 
 
御来訪ありがとうございました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

メモ インドネシア 石油を中心に 

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(引用はじめ)
 
ロイヤル・ダッチ・シェル
 
シェルの歴史[編集]
 
シェルの歴史は、ユダヤ人マーカス・サミュエルMarcus Samuel, 1st Viscount Bearsted、 後の初代バーステッド子爵)が来日した際に横浜近郊の三浦海岸で見つけた貝があまりにも美しく、拾い集めた貝殻を持って帰国。貝殻細工の製造販売で財をなしてロンドンに開店した小さな骨董品店に始まる。カスピ海から輸入した貝殻が人気となり、利益も大きかったため、次第に事業を拡大して輸出入業へ乗り出し、世界最初の「タンカー王」となった。
 
後を継いだ息子たちは、石油事業に進出し、ボルネオ島の油田開発に成功した。 これが大規模なものに成長し、1897年にシェル・トランスポート&トレーディング・カンパニーを設立した。社名は、貝殻を販売していたことと、出資者の家紋ヨーロッパホタテPecten maximusホタテガイに近縁なホタテガイ属の1種)であったことにちなむ。
 
トレードマークは当初ムール貝であったが、1904年に現在のマークの原型となるホタテ貝に変更した。ヨーロッパホタテの貝殻をモチーフにしたペクテンマークの起源はここにある。
 
ロイヤル・ダッチの歴史 
 
ロイヤル・ダッチは、オランダ領東インド(現インドネシア)を拠点に活動していたジャン・バプティスト・オーガスト=ケスラー(Jean Baptiste August Kessler)が1890年にオランダ王室からの特許状を得て、オランダ領東インド石油開発会社を設立・石油開発に着手したことに端を発する。過酷な気候や風土病に悩まされながらも1892年に操業を開始し、その際スタンダード・オイルへの対抗もありシェルに石油運搬を委託していた。
 
世界各地でアメリカのロックフェラー系のスタンダード・オイル(現 エクソンモービル)との競争が熾烈になったため、シェルとロイヤル・ダッチは石油の利権を確保するため業務提携し、1907年に事業提携して「ロイヤル・ダッチ/シェルグループ」を形成した
 
2012年2月10日、近年国家戦略としてエネルギー資源の獲得に意欲を見せる中華人民共和国の中国石油天然気勘探開発公司(中国石油天然気集団子会社)が、ロイヤル・ダッチ・シェルが保有する、カナダブリティッシュコロンビア州グラウンドバーチの権益の20%を買収し、同地域の天然ガス液化工場での共同プロジェクトに参画することとなった。
 
 
 
 
スタンダード・オイル
 スタンダード・オイル: Standard Oil)は、アメリカ合衆国石油会社。ジョン・ロックフェラーとそのパートナーによって1863年に設立されたオハイオ州組合パートナーシップ)を前身として、1870年に設立された。
 
 
 
 
1949年(昭和24年)6月 - ロイヤル・ダッチ・シェルと業務提携。1951年(昭和26年)6月 - ロイヤル・ダッチ・シェルが資本参加。
 
1985年(昭和60年)1月1日 - 昭和石油を存続会社としてシェル石油株式会社と対等合併し、昭和シェル石油株式会社発足。
 
 
 
 
 
独立
しかし、1945年8月15日に日本がオランダを含む連合国軍に降伏し、念願の独立が反故になることを恐れたスカルノら民族主義者は同17日、ジャカルタのプガンサアン・ティムール通り56番地で独立を宣言した(独立宣言文の日付は皇紀を用いている)。しかし、これを認めず再植民地化に乗り出したオランダと独立戦争を戦うことを余儀なくされた。インドネシア人の側は、外交交渉を通じて独立を獲得しようとする外交派と、オランダとの武力闘争によって独立を勝ち取ろうとする闘争派との主導権争いにより、かならずしも足並みは揃っていなかったが、戦前の峻烈な搾取を排除し独立を目指す人々の戦意は高かった。
独立宣言後に発足した正規軍だけでなく、各地でインドネシア人の各勢力が独自の非正規の軍事組織を結成し、降伏後に日本軍兵器庫から奪ったり、連合国軍に対する降伏を潔しとしない日本軍人の一部がばら撒いたり横流しした武器や弾薬で武装化した。これらの銃器の他にも、刀剣竹槍棍棒毒矢などを調達し農村まで撤退してのゲリラ戦や、都市部での治安を悪化させるなど様々な抵抗戦によって反撃した。
また、この独立戦争には、スカルノやハッタらインドネシアの民族独立主義者の理念に共感し、軍籍を離脱した一部の日本人2,000人(軍人軍属)も加わって最前列に立って戦い、その結果1,000人が命を落とした。
他方でインドネシア政府は第三国(イギリスオーストラリアアメリカ合衆国)などに外交使節団を派遣してインドネシア独立を国際的にアピールし、また、発足したばかりの国際連合にも仲介団の派遣を依頼して、外交的な勝利にむけても尽力した。結果として、1947年8月1日に国際連合安全保障理事会で停戦および平和的手段による紛争解決が提示された。
独立戦争は4年間続き、オランダに対する国際的な非難は高まっていった。最終的にインドネシアの共産化を警戒するアメリカの圧力によって、オランダはインドネシア独立を認めざるを得なくなった。
こうした武力闘争外交努力の結果、1949年12月のハーグ円卓会議で、インドネシアはオランダから無条件で独立承認を得ることに成功した。
 
 
インドネシア共産党
 
PKIの前身となったのは1914年に中部ジャワのスマランで結成された東インド社会民主主義同盟 Indische Sociaal-Democratische Vereniging(以下ISDVと略す)である。このISDVは蘭領東インドに在住する左派オランダ人、欧亜混血児、華人を中心としていたが、この組織に参加する「原住民」メンバーが増加するにしたがい、組織内での「原住民」活動家の発言力が高まっていった。
ISDVからインドネシア共産党(PKI)へ組織改編されたのは1920年である。PKIの議長になったスマウン Semaun、副議長になったダルソノ Darsono らの党幹部は、ISDVで育った「原住民」活動家だった。また、その結党は、アジアにおける合法共産党としてはもっとも早かった(中国共産党結成は1921年日本共産党結成は1922年である)。
 
 
 
 
 
戦前・戦中・戦後のインドネシア石油事情
http://www16.plala.or.jp/bouekitousi/sub21.html
 
かくて、1942年の日本軍の侵攻まで、蘭領東印度の石油事業は、シェル系のBPM、スタンダード系のスタンバック、カルテックスの前身NPPMが競い合った。
 
 
5.ハーグ円卓会議後の石油事情
TMSUは、1957年7月、PT ETMSU (Perseroan Terbatas Eksploitasi Tambang Minyak Sumatera Utara)になり、さらに、PT ETMSUは、1957年12月10日、国営石油会社プルミナ(PT Perusahaan Minyak Nasional)に改組された。プルミナは1958年、日本の北スマトラ石油開発(NOSODECO)と協力契約を締結、東京に事務所を開いた。


6.オランダ企業を対象とする国有化法と石油ガス鉱業法の施行
 
1949年のハーグ円卓会議で正常化したインドネシア共和国とオランダの関係は、やがて西イリアンの帰属問題でこじれるところとなり、1958年12月、共和国はハーグ協定を破棄し、オランダ企業を対象とする国有化法(Law No.86 1958)を施行するに至った。
 この国有化法により、BPMと蘭印政庁が50:50の比率で1920年に設立し、ジャンビにコンセッションを得て、シェルが運営していたNIAM(NV Nederlans Indische Aardolie Maatschappij)のオランダ出資分50%は、1959年12月、共和国政府により収用され、本社もハーグからジャカルタに移った。名称もPT Permindoに変わったが、シェルによる経営は、シェルの持ち株が共和国政府に買い取られる1961年まで続いた。この結果、PT Permindoは、国営製油会社プルタミン(PN Pertambangan Minyak Nasional)となり、1968年にプルミナと合併しプルタミナになる。
 
米国系のカルテックスとスタンバックは、国有化法の対象ではないので、それぞれPTCaltex IndonesiaとPT Stanvac Indonesiaとしてコンセッションを維持していたが、1960年10月26日公布の「石油ガス鉱業法(Law No.44 Prp. 1960)」により、カルテックスは1962年に国営石油会社プルタミンとの間の請負契約、スタンバックは1963年に同じく国営石油会社プルミナとの間の請負契約をそれぞれ締結した。この請負契約(Working Contract)により、両者の地位はコンセッション・ホールダーからコントラクターとなった。 請負契約は、1983年に期間満了し、スタンバックは撤退、カルテックスは生産分与契約へ移行して、この方式の契約は姿を消した。
 
 
北スマトラ石油開発
国際石油開発
 
 
国際石油開発帝石
 
国際石油開発は国策会社として設立されたため、石油公団普通株36.06%と黄金株(一株でも拒否権を保有)を保有していた。石油公団が2005年(平成17年)4月1日に解散すると、その株式は経済産業大臣が継承していた。国際石油開発と帝国石油の経営統合による株式移転で、普通株式1株に対して1株、甲種類株式(黄金株)1株に対し1株が経済産業大臣へ割り当てられている。

 
 
(引用終わり)

どうして韓国に入れなかったんだろう②

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御来訪ありがとうございます。
 
 
(引用開始)
 
 
 
(引用終わり)
 
このラッセル商会という 麻薬組織のことを、知らなかったんで、ぶっ飛んじゃいました。
 
 
(引用開始)
 
 
 

 
 
66
名無しさん@お腹いっぱい。[]投稿日:2006/09/14 05:28:48 ID:1QbDItXF0(2)
昭和通商社員の証言
 
 
「昭和十六年、わたしが天津にいたときだった。陸軍も予算が足りないので、別途に資金づくりを
 しようという軍命があった。そこで北支方面軍と昭通、それに正金銀行と朝鮮銀行の各支配人が集
 まって対応策を協議した。そのとき、両銀行の支配人は、金儲けなら賭博が一番で、次に阿片です
 ね、と言い出した。それなら賭博がいいだろうということになって、一同、上海まで賭博場見学に
 行った。帰ってきてから、わたしは北支方面軍の西野参謀に『賭博による資金工作』という建白書
 をつくって提出したが、いくらなんでも、軍が賭博の胴元になることはできなかったのであろう、
 結果は不可となった。
  どういう経路かわからないが、その後、北支方面軍から、突然、資金工作に阿片取扱いの話が持
 ち上がってきた。当時、あのように歩の良い商売はないと目されていたのが阿片売買で、それは支
 那派遣軍全体の風潮にあったようだ。おそらく南京の総軍あたりから出た話と思う。
  当時、阿片一両(八匁三分)が張家口で二十円のものが、天津で四十円、上海で八十円、シンガ
 ポールへ行くと百六十円という具合の値上がり率だった。これによって得た資金は、昭通の物資収
 買の際の資金として大変役立ったが、物資調達の上で有効なばかりでなく、宣撫工作用としても大
 いに活用された」
  (山本常雄『阿片と大砲』(PMC出版 1985)より)
 
 

83
名無しさん@お腹いっぱい。[]投稿日:2007/04/14 01:12:25 ID:WgC3WuIL0(2)
土肥原機関 (上海 陸軍参謀本部第2部第8課(情報部宣伝謀略課)直属)
  元ハルビン特務機関長・元奉天特務機関長土肥原賢二が組織。
  主に華北軍閥懐柔工作、重慶政府情報収集に従事。その後、影佐偵昭大佐の梅機関に。

甘粕機関 (満州 民間)
  甘粕正彦が大陸浪人などを集めて組織。奉天特務機関長土肥原賢二などと連携し、
  アヘン密売などに従事。

茂川機関 (天津 支那派遣軍司令部北支那方面軍直属)
  茂川秀和大尉が組織。松機関と連携してアヘン密売などに従事。
  盧溝橋事件を利用した日中全面衝突誘導工作への関与が疑われている。

松(岡田)機関 (上海 支那派遣軍司令部参謀部第2課(情報課)直属)
  岡田芳政少佐が組織。大陸浪人阪田誠盛らとともに、天津でのアヘン密売や、
  岩畔豪雄大佐指示による杉工作(偽札の製造・流通で、中国経済の混乱を画策)などに従事。

梅(影佐)機関 (上海 支那派遣軍司令部直轄)
  参謀本部第2部第8課初代課長だった影佐偵昭大佐が組織。蒋介石のライバルだった
  汪兆銘らの懐柔工作に従事。土肥原機関よりテロ組織ゼスフィールド機関を引き継ぐ。

里見機関 (上海 民間)
  関東軍直属「満州国通信社」初代主幹だった里見甫が組織。影佐偵昭大佐の指導で
  中国の犯罪組織と連携し、上海でのアヘン密売を取仕切る。

ゼスフィールド機関(ゼスフィールド76号)(上海 土肥原機関・梅機関配下)
  土肥原機関員だった晴気慶胤少佐が影佐偵昭大佐の支援の下に組織。共同租界を
  中心に、蒋介石側謀略機関「藍衣社」などにたいする暗殺・テロ活動に従事。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
84
名無しさん@お腹いっぱい。[]投稿日:2007/04/14 01:15:07 ID:WgC3WuIL0(2)
興亜機関 (香港 支那派遣軍司令部参謀部第2課(情報課)直属)
  岩畔豪雄大佐らが創設したダミー商社「昭和通商」と連携し、阿片密売や軍事戦略物資
  調達などに従事。

児玉機関 (上海 民間)
  大西滝治朗少将主導の下、児玉誉士夫が大陸浪人などを集めて組織。海軍航空本部への
  資材調達に従事する過程で、巨利を得る。

陸軍登戸研究所
  岩畔豪雄大佐らが謀略戦略資材の研究製造などを目的に、旧組織を改組して設置。
  科学戦研究機関「習志野部隊」「関東軍516部隊」、細菌戦研究機関「関東軍731部隊」
  などとも連携。偽札流通工作「杉工作」などにかかわる。

陸軍昭和通商
  岩畔豪雄大佐らが主導し、各財閥より出資を募り、昭和14年設立。世界各国に
  支店を開設し、武器売買・軍需戦略物資調達・阿片売買などに携わる。また、
  陸軍特務機関員の活動工作のための拠点としても利用された。
 
 


 
 
 
 (引用終わり)
 
 
これじゃ、どことどこが組んで、アイゼンベルグ氏を韓国から締め出したのか多すぎてわかりません。(苦笑)
 
ですが、ジャパンロビーと韓国ロビーの利害が一致したという文章もどこかで見たので、締め出しに成功したのかもしれません。
 
ユダヤ人をアメリカに入れるなというフォード社長などの一派と
ユダヤ人をアメリカに入れるべきといっていたシフさんたちも、
共通の利害、もっと儲かるということでは手を打ったんだろうし、
 
GHQのG2(反共)と、民生局(ニューディーラー)の対立は、どっちが乗っ取るか? みたいな話で、共産主義ぶってた人が、ネオコンになったり
反共の人が、共産主義の次段階である小さな政府を主張するのも
不思議はないんですが。。
 
 
戦争よりも伝染病で死なせた方が。。なんて言うローマクラブにも
ロシア革命の共産党にも、ナチにも資金援助するというのは、
どっちに転んでもいい、どっちにも顔つなぎをしておいて儲けるというのは 商人の基本ですから、驚くにはあたらないのかな。。
 
 
 
 
マッカーサー氏が、ニューデイーラーと、反共のいいとこ取りをして
手柄にしたしばらくあとには、ずれたおじさんになっていた。
 
というのは、「民主主義VS共産主義」の対立で儲けようと決まってしまったからかもしれません。
 
 
太平洋戦争の余った武器を朝鮮戦争で使った、という話もあるからです。
 
マッカーサーは、イギリスの影響が強すぎるとして、CIA(OSS)を嫌っていたという話もあります。米国は、イギリスから独立したのですから
そういう勢力もあるかもしれません。 
 
 
単に、商売の争いかもしれませんが
 
 
 
 
メモ グルー  ハリーカーン
 
で引用させていただいたグルーという人は、単なるジャパンロビーというより もうちょっと格上の人なのかなあ。。
 
引用させていただいた「天皇制を残す理由」の他に、天皇は、財閥であった、という要素がありますから、共産主義になられちゃうと 奪う前に解体されちゃうでしょうから。。
 
 
 
(引用開始)
 
 
 
 
モルガン商会は銀行ではない。アメリカの国家であり、アメリカの法律であり、アメリカの制度である」」
 
~モルガン財閥~
 
 オーガスト・ベルモント(-)キャロライン・ペリー ⇒ アリス・ペリー(-)ジョゼフ・グリュー…

 …このような関係となり、グリューは、ベルモント一族となった。
 その後、ジョゼフ・グリューは、太平洋戦争前に、アメリカ日本大使として、三井・三菱財閥を渡り歩き、軍人と交流を深めていった。その狙いが、中国大陸での石油利権であった。
 
そして、このグリュー一家のジェーン・グリューが、当時全米一の富豪J・P・モルガンJrの妻となっていたのである。
 
 
 
 
児玉誉士夫 巨魁の昭和史 
 
 
98ページ  つまり児玉の台湾義勇軍に対する活動は、G2の下請け工作 でもあった
 
99ページ
 児玉氏は辻正信に OSI(空軍情報局)のフランク(フランクGオニール?)のエージェントになるように勧めた
 
 
101ページ GHQは 密輸を黙認していた。 (台湾⇔日本? +アメリカ?)
         
 
 
213ページ CIAは、賄賂をオーケストレーションしていた。
 
 
306ページ CIAはマネーロンダリングをしていた。
   ディーク社
    
    
 片山シゲトモ 氏は、領収書を香港で大量に書いた。
  
片山の50年代の仕事は、アメリカのインテリジェンスのために麻薬を扱うことだった。
 
 
 
オーラルヒストリー企画
 
 
 朝鮮戦争がまだ続いていた頃、『人民日報』に「国際義勇軍が日本で組織され、台湾に派遣される陰謀計画が進行中である」という記事が出たことがありました。
 この計画の総元締は元支那派遣軍の総司令官であった岡村寧次であり、募集の責任者は元第1軍司令官・澄田賚四郎でした。その他、元北支那方面軍司令官・根本博、右翼の児玉誉士夫、それに元第1軍参謀長・山岡道武も加わっていました。岡村は蒋介石に、澄田は閻錫山にそれぞれ協力した“功績”により、戦犯を免れていました。
 
 
 
(引用終わり)
 
 
ラザールフレールに行った澄田智氏の父親が出てきました。
 
あらゆる機会を使って、CIAは、マネロンをしていたということです。
 
政治家へのリベートとして上乗せが、と話題になりますが、それだけではないと思います。 闇取引の会計処理ではないでしょうか?
 
 
 
 
 韓国に先行して保障ビジネスの始まったインドネシア
 
「沈黙のファイル」には瀬島龍三氏が、辻正信氏を通じて、スカルノに取り次いでくれた。という記載があります。
 
沈黙のファイルの冒頭には、あの木下産商とともにインドネシア補償ビジネスをしていた東日貿易ジャカルタ支店長の興味深い証言が載っています。
 
1963年6月に、ローマにいたスカルノ大統領に届ける裏金が半分ぐらい届かなかった、というのです。
 
伊藤忠商事のニューヨーク支店で金を受け取り、東日貿易社長の久保正雄氏と、飛行機でローマに運び、全部久保氏に渡し、久保氏が米大使館脇のホテルにいたスカルノに届ける手はずだった。
 
ところが、
 
「半分は届いたと思うけど、30万ドルだか50万ドルだか足りない」
 
 ということで、この支店長氏は、久保社長が 取ったと思って東日貿易を辞めた。
 
という話です。
 
この元支店長という人も、「わかって」言っている可能性もあるような
方なんですが、久保社長は一時入国禁止になったそうです。
 
 
これは、インドネシアのデパート建設にかかわるリベートで、伊藤忠が商社で、ゼネコンは大林組で、スカルノに77万ドル、東日貿易に64万ドル払われる約束だった
 
っていうんですけど、これ、日本の税金ですよね。。
 
「米大使館脇のホテルにいたスカルノ」って気になりますよね。
 
瀬島氏は、宮家や宮内庁の信頼も厚かった とも書かれています。
 
まあ、武士同士を競わせて、漁夫の利を得た 公家ならば、薩長に徳川を退治させ、長州に薩摩を退治させ。。みたいにして漁夫の利を得ていても不思議はないですよね。 住友とか。。w
 
いずれも古い話で、今に繋がるかどうかわからないですが。。
 
御来訪ありがとうございました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

気づかなかった民営化 日本アルコール産業 

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御来訪ありがとうございます。
(引用は 管理人コメントは青)
 
 
 
国有財産統計 平成22年度
 
 
 
 
 
 
 J.alco株式の概況の図
 
 
 
と、民営化されてしまっていました。
 
  
 
 
 
会社概要
 
退職公務員等の役員就任状況について(PDF)
 
 
 
経済産業省が3人、国税庁が1人

 
 
 
 
日本アルコール産業株式会社(にっぽんアルコールさんぎょう)は、日本アルコール産業株式会社法(平成17年法律第32号)に基づいて、酒税法で規定されている酒類ではない発酵アルコール(工業用アルコール[1])の製造販売等を行う特殊会社
 
 
 2006年(平成18年)4月1日 - 新エネルギー・産業技術総合開発機構のアルコール製造部門が独立し、日本アルコール産業株式会社が発足。2008年3月31日 - 同年1月の財務省による株式売出しの結果、日本アルコール販売の子会社となった
 
 
 
 
日本アルコール販売
 
 
 
役員選任のお知らせ
 
 
 
有報リーダー 
日本アルコール販売株式会社 の有価証券報告書
 
大株主の状況 
 
平成24年3月31日現在
氏名又は名称
住所
所有株式数
(千株)
発行済株式
総数に対する
所有株式数
の割合(%)
日本合成アルコール㈱
川崎市川崎区浮島町10-8
321
3.06
〇〇〇〇
〇〇〇〇
321
3.06
第一アルコール㈱
中央区八丁堀4—13—4
243
2.32
サンケミファ㈱
仙台市青葉区中央3—3—3
231
2.20
雨 貝 二 郎
柏市
226
2.16
㈱ニューヘヤー化粧料本舗
千代田区神田東松下町11
225
2.15
㈱柳屋本店
中央区日本橋馬喰町1—10—6
201
1.92
高砂香料工業㈱
大田区蒲田5—37—1
201
1.92
長谷川香料㈱
中央区日本橋本町4—4—14
187
1.78
甘糟化学産業㈱
中央区日本橋本町3—4—5
181
1.72
2,340
22.29
 
雨貝二郎
 
和43年4月
通商産業省(現、経済産業省)入省
 
 
 
 
 
平成9年1月
人事院公務員研修所長
平成11年7月
人事院公平局長
平成13年1月
㈱ダイエー代表取締役会長
平成16年6月
当社代表取締役社長
 
 
 
〇〇のところは、個人名なので、伏せました。
雨貝次郎氏は、日本アルコール産業の会長でもあります。
 
岡 留 伸一郎氏も、両方の役員です。 ともに経産省出身です。
この会社も10人の役員の内、4人が経済産業省出身です。
 
 
 
 
 
会社概要
 
株主
宝ホールディングス株式会社 (旧 宝酒造株式会社)  33.3%
協和発酵キリン株式会社 (旧 協和発酵工業株式会社) 33.3%
メルシャン株式会社 (旧 三楽オーシャン株式会社)  33.3%
 
 
 
第一アルコール㈱
 
設立
2010年3月1日
 
出資比率
メルシャン株式会社 100%
 
 
メルシャン
 
味の素の創業者として知られる鈴木三郎助の次男・鈴木忠治が、化学調味料製造の際に発生する大豆粕を原料にアルコール合成清酒製造を目的として1934年(昭和9年)に「昭和酒造株式会社」として設立。
 
2010年6月11日 - 水産飼料事業部において、幹部社員が関係した架空取引で、この4年間だけでも65億円の損失が見込まれる事が判明。2010年7月1日 -
  • 当社と協和発酵バイオ(当社と同じキリンホールディングス傘下の協和発酵キリンの子会社)の原料アルコール事業を統合し、同社との合弁で第一アルコールを設立。
  • 加工用酒類カンパニー(アルコール営業部除く)及び日光工場がキリン協和フーズと統合。
2011年7月1日 - 医薬・化学品事業を三井物産へ譲渡。
 
 
キリンは、三菱グループでしたよね。
 
 
 
株式会社ニューへヤー化粧料本舗
 
この会社、情報がほとんどありません。
 
 
 
会社概要
 
沿革
 
この会社非上場です。 社長の名前で検索すると、馬主っていうのが
出て来ますね。
 
 
 
サンケミファ㈱
 
1935年(昭和10年)10月27日
 三丸製薬合資会社創立。戦時中は軍需省仙台地方燃料局嘱託として、
 東北地方のアルコール配給の業務に協力。
1950年(昭和25年)6月
 東北大学医学部細菌学教室より分離した部門を株式会社細菌化学研究所として設立
 (社名命名者は赤痢菌発見者 志賀 潔先生)。生物学的製剤である、予防接種用
 ワクチン・トキソイドなどの研究と製造に従事。平成12年に解散するまで、50
 年間にわたり、国の感染症対策の一翼を担った。
 
 

1969年(昭和44年)6月
 株式会社ニッセイを設立。現東京海上日動火災株式会社の損害保険代理業を開始。
 
1984年(昭和59年)11月
 食品部門として株式会社サンミックを設立。山之内製薬株式会社と業務提携し、 学校給食事業を開始する。
 
 

 この会社、由来がわからないのですが、志賀潔
 
 
 
1920年(大正9年)、慶應義塾大学医学部教授に就任したが、同年秋には朝鮮総督府医院長・京城医学専門学校長に転じた。1926年(大正15年)、新たに創立された京城帝国大学(現在のソウル大学)の医学部長に就任、さらに1929年(昭和4年)には同大学総長となった。
 
大学総長就任後の1930年、開学記念講演の「らいの歴史とらい病の研究」が、らい学会、医学部の一部の教授たちから非難されたことが、任期を満たさずに辞任したことのきっかけとなった[3]。この講演で、志賀は「らい患者には去勢を施せ、而して夫婦生活を許せ」「らい者救済の第一は去勢であって、らいの撲滅には最効果あり」という「平素の持論」を力説した[4]。藤野豊は去勢と断種の取り違えが原因だろうとしている[5]
 
 
1931年(昭和6年)、内地に戻り、北里研究所顧問となった。
1945年(昭和20年)の東京大空襲で被災、家財を失い、仙台に疎開した。
 
 
以下は、731部隊の話ですが、上記の話と似た志賀潔の発言が出て来ます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
会社沿革
 
 
 
 
 
 
会社沿革
 
 
株式会社東松山カントリークラブ の有価証券報告書
 
石油資源開発株式会社  東京海上日動火災保険株式会社 東日本電信電話株式会社などとともに
甘粕科学産業が、東松山カントリークラブの大株主だったりします。
 
 
 
 
高砂香料については次回に譲ります。
 
 
 
見事に、民営化、私物化されちゃったわけですね。
 
 
 
日本アルコール販売株式会社 臨時報告書
2012年11月02日
 
 
  平成25年3月期の中間連結損益計算書及び中間損益計算書において、751,511千円の特別損失を計上する見込み であります。
 
 
日本アルコール産業 
[2013.1]福島バイオコンプレックス構想の推進について(FBC株式会社による新たな取組み)(PDF)
 
2. 今般、事業の前提となる農地等の除染に関する世界最先端の技術(亜臨界の水熱爆砕処理によるセシウム分離技術)を保有する株式会社CDM コンサルティングと事業提携に合意し、今後においては、本社福島プロジェクト推進室の指導・助言を受けつつ、FBC株式会社(出資比率:日本アルコール産業グループ2/3、株式会社CDM コンサルティング1/3)が中核となり、福島バイオコンプレックス構想について、本格的な検討作業を加速いたします

(参考1) FBC 株式会社の概要
資本金1 億2 百万円
役 員 社長 雨貝 二郎
 
 
 
株式会社CDMコンサルティング
沿革
 
株式会社グリーンテックソリューション 
 ※DBJキャピタル等より出資あり
 
DBJキャピタル 株式会社日本政策投資銀行(DBJ)の100%子会社で、DBJグループのベンチャーキャピタルである新規事業投資株式会社と知財開発投資株式会社の統合により発足致しました 
 
 
 
私物化した同士で、さらにむしりとろうという様子がよくわかりますね。
 
御来訪ありがとうございました。
 
 
 
 
 

 

高砂香料工業工場で火災 からの妄想

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御来訪ありがとうございます。
 
引用は  管理人コメントは青
 
 
 
2013年4月10日
ざまあみやがれ
『高砂香料工業工場で火災 ノーベル賞野依良治が取締役』
合成香料を使用していそうですね。これが燃えて、本当に人体に害がないのか? 香料の工場なんて化学工場みたいなものじゃないのかな?
 
 
高砂香料ホームページ
沿革 
 
 
1928年 PR誌「高砂香料時報」を創刊。
     この年、昭和天皇ご即位の大礼記念国産振興東京博覧会でバニ     リン、ヘリオトロピンなど高砂香料製品が「優良国産賞」を受賞。
1929年 3月
スイス・アロンドン商会にサフロール3トンを輸出(わが国最初の香料輸出)。
 
1938年
   
 7月  本社を台北に移し、蒲田を東京支店とする。
 
1940年
   
1月 中華樟脳株式会社を合弁で上海に設立。出張所と工場を設置。
 
 
と、歴史ある会社のようです。
 
 
 
 
 
日本の法規制
 
アントラニル酸およびその塩は麻薬向精神薬原料として、サフロールイソサフロールヘリオトロピンは特定麻薬向精神薬原料として麻薬及び向精神薬取締法の規制を受ける。フェニル酢酸およびその塩は覚せい剤原料として覚せい剤取締法の適用を受ける
 
 
 
 
 
 
 
高砂香料工業の保有株http://www.ullet.com/%E9%AB%98%E7%A0%82%E9%A6%99%E6%96%99%E5%B7%A5%E6%A5%AD/%E5%A4%A7%E6%A0%AA%E4%B8%BB#%E4%BF%9D%E6%9C%89%E6%A0%AA
 
名糖産業
 
 これも狙われているのかなあ。。
 
 
 
高砂香料工業
1983年に工業化に成功したl -メントールの不斉合成技術は、クリーンでナチュラルな香りを特徴とする光学活性なスペシャリティ素材の開発に広く応用されています。
ファインケミカルの分野では、最先端の不斉合成技術を用いた医薬中間体や、電子製品やIT産業で用いられる機能性材料など最高水準の製品とサービスを提供しています。
 
 
サリドマイド事件
 
不斉合成
 
野依教授は、世界で初めて「右手型」と「左手型」の人工的なつくり分けの可能性を示唆し、その後自らBINAP触媒というものを開発してそのことを実証した。この技術を用いて、1983年に世界初の不斉合成による工業化が日本で実現した。対象となったのは ”L-メントール” で、高砂香料工業(株)において、野依教授の研究グループや大阪大学などとの共同研究によって製造方法が確立された。
 
左手型メントール:
単一の香料としては世界的に最も需要の多い、薄荷やペパーミントの主成分でありスッキリとした清涼感がある。タバコやのどあめ、歯みがき粉などに幅広く利用されている。
 
右手型メントール:
ほこりっぽく、消毒薬臭い。
その他の実用化例:
プロスタグランジン、βラクタム系抗生物質、キノロン系抗菌剤など多数。
サリドマイドには「不斉」炭素が一つある。したがって、右型左型が存在するわけであるが、睡眠・鎮静作用があるのは「右手型」で、「左手型」には催奇性による四肢の矮小化等の作用があった。
 
 
 
いろいろな薬剤に応用されているようで、この分離する触媒も大変な
競争をされているようです。
 
エイズ(HIV) が、いろんなウィルスとかを呼び込みやすいウィルスだとすると、このALK阻害剤は、がん細胞の中にエネルギー源が入るのを阻害します。
 
また病気の細胞に取り付いて、ナチュラルキラー細胞というのを呼び込んで、病気の細胞だけをやっつけるというというのもあります。
ですが、安全とされているほうの右手型,(あるいは左手型)でも、
本当に安全かどうかはわかりませんよね。
サリドマイドの二の舞にならないようにして欲しいです。
 
一時期、メンソールタバコで不妊になると言われました。
それは否定されていたのですが、
 
メンソールたばこ販売禁止法案を提出 欧州委員会 2012年12月21日
 
【ブリュッセル=工藤武人】欧州連合(EU)の執行機関、欧州委員会は19日、メントールなど
香り付きたばこの販売禁止を柱とする、たばこ販売に関する規制強化法案を加盟国に提案した。

 法案は今後、加盟国や欧州議会で審議されるが、EUによる販売規制強化の動きは、日本での
規制論議にも影響する可能性がある。

 欧州委は、喫煙者の約7割が18歳未満で喫煙を開始している点に着目しており、メントールや チョコレート風味など香り付きのたばこの販売禁止は、若者の喫煙開始を抑制することが狙いだ。
欧州委は2015~16年の発効を目指している。
 
 
 
 
京都大学原子炉実験所
 
京大では、放射線を当てたり、宇宙空間と同じ状態を作り出して、「右手型」と「左手型」を作ろうとも考えていたようです。
 
 
 
近現代系図ワールド
野依良治系図
 
非常に三井に近い人です。
 
 
バイオエタノールや、砂糖を調べていましたら、こういうのにぶつかりました。
 
 
 
森村商事 サトウキビ由来のバイオエタノールベースの高性能合成ゴム
 
植物由来のゴムですね。
 
沿革
 
1902 明治35
市左衛門、第一生命保険相互会社(わが国最初の「相互組織」の会    社)設立に参画
 
1925 大正14
日本で輸入第一号となるIBM計算機を日本陶器(株)に納入
    日本で初めての代理店になる
 
1963 昭和38
アルコア社と代理店契約を締結
    同社製品中、メタル関係以外のボーキサイト及びアルミナ化成品等    の輸入総代理店権を獲得
 
1998 平成10
BASF社より森村バーディシェ株式会社の株式を取得、全額出資会社    とし、社名を森村ケミカル株式会社とする
1999 平成11
小野田森村マグネシウム株式会社設立(土岐)
 
 
岐阜県土岐のマグネシウム工場が爆発したのをおぼえていらっしゃるでしょうか?
 アルコアとBASF社ですって!
 
 
最近の脱法ハーブの妙な動きも気になって検索すると
 
サフロール
 
抗インフルエンザウイルス剤
出願人 / 発明者
 
学校法人北里研究所 , 高砂香料工業株式会社
 
概要
 

インフルエンザの予防・治療に有用な、新規な抗ウイルス剤の提供。パチョリアルコール及び/又はパチョリ精油抽出物を有効成分として含む抗インフルエンザウイルス剤。なし
 
効果
 
本発明にかかる抗インフルエンザウイルス剤を用いれば、低い細胞毒性で高い抗インフルエンザウイルス活性を得ることができる。
 
 
 
パンデミックインフルエンザワクチン生産体制整備計画の見直しこそが必要では【日経バイオテクONLINE Vol.1815】
2012年11月28日 19:00
 
先週木曜日に厚生労働省は、阪大微生物病研究会から、「新型インフルエンザワクチン開発・生産体制整備臨時特例交付金」による細胞培養法ワクチン実生産施設整備等推進事業(阪大微研の割当生産量:2500万人分)について、事業の目的が達成できないため、交付を受けた助成金を全額返還の上、開発を中止する旨の申し出があったと発表しました。
 
 
このプロジェクトは、新型インフルエンザのパンデミックが発生してから半年間で全国民が接種できるだけのワクチンの製造体制を2013年度中に構築するというもので、6事業者が応募し、2011年の8月に、阪大微研化学及血清療法研究所、北里第一三共ワクチン武田薬品工業の4事業者が採択されたという経緯があります。ちなみに採択から漏れたのは、遺伝子組み換え型のインフルエンザワクチンを開発中のUMNファーマ(秋田市)と、世界トップのワクチンメーカーであるノバルティスファーマの2社です。奇しくも11月20日には、Novartis社がドイツで製造する細胞培養インフルエンザワクチンを米食品医薬品局(FDA)が承認しており(欧州では承認済み)、国内企業に製造させようとして開発中止に至った(4社のうちあくまでも1社が、ですが)日本とは何やら対照的なエピソードとなってしまいました。
 
 
阪大が辞退して。。
 
 
2013年 3月 25日
 研究費2700万円を不正受給=昨年、元医学部教授処分—北里大
 
 
北里大学(東京都港区)が厚生労働省の補助金を受けた科学研究事業で、約2700万円の不正受給があったとして国に返還していたことが25日、厚生労働省などへの取材で分かった。同大は研究の実質的な担当者だった元医学部教授ら4人を既に処分し、加算金を含めた約3200万円を国に返還しているが、公表はしていなかった。 
[時事通信社]
 
 
 
関係ないかもしれないけど、タイミング良過ぎます。
 
この抗インフルエンザ薬、出てくるのかなあ。。特許一覧には出ていたけど。。
 
高砂香料 では 超臨界流体クロマトグラフィー を使っての
セシウムなどの分離除去も研究しているようなので、そちらが狙いかもしれません。
 
 
 
日本アルコール物流
 
 
運搬もばっちりですね。
 
御来訪ありがとうございました。
 
 

バイオエネルギーのもやもや?!

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御来訪ありがとうございます。
 
(引用は 管理人コメントは青)
 
の捕捉です。
 
エネルギーで支配したい人たちにとって、もちろん
バイオエネルギーだって支配したいですよね。
 
医療で儲けたい人たちにとっては、感染症を起こすことも方法ですが、
「免疫」をコントロールできれば。。
 
たとえば、ワクチンに呼び込む受容体を仕込んでおけば、
あっという間に感染が広がりますよね。
 
 
 
 
 
日本アルコール産業
 
[2013.1]福島バイオコンプレックス構想の推進について(FBC株式会社による新たな取組み)(PDF)
 
2. 今般、事業の前提となる農地等の除染に関する世界最先端の技術(亜臨界の水熱爆砕処理によるセシウム分離技術)を保有する株式会社CDM コンサルティングと事業提携に合意し、今後においては、本社福島プロジェクト推進室の指導・助言を受けつつ、FBC株式会社(出資比率:日本アルコール産業グループ2/3、株式会社CDM コンサルティング1/3)が中核となり、福島バイオコンプレックス構想について、本格的な検討作業を加速いたします
 
  ↓
 
環境ビジネスオンライン
 
粘土鉱物や植物内の放射性物質を水熱爆砕処理で除去する技術
2012年9月10日掲載
前田建設工業は、従来は対応困難であった粘土鉱物や植物の細胞内などに入り込んだ放射性物質の分離、除去および回収までの技術を、世界で初めて実規模プラントでの実証に成功したと発表した。今後、本技術を活用し、国や各自治体が抱えている放射性汚染物質や除染廃棄物の減容化事業に乗り出し、積極的に展開していく考えだ。
 
同社は、CDMコンサルティング、東京工業大学、原子力研究バックエンド推進センターと、放射性物質の分離・除去技術の実用化に取り組んできた。今回の成果は、水熱爆砕処理によるセシウムの分離技術を適用した実規模プラントを構築して実証実験を行い、高い処理効果を確認するとともに、日本原子力研究開発機構(JAEA)から技術の有効性に対する評価を得たもの。
 
 
 
 
 
 
亜臨界状態は温度100℃から374℃の間で加圧した状態で作り出されるものであり、本技術では260℃を最高温度としている。これは、セシウムの沸点671℃を超えるものではなく、セシウムを揮発させることなく安全、且つ確実に処理を行える点が大きな特徴である。
 
 
あらら? セシウムで汚染されたような物質は、他の放射性物質にも汚染されているんじゃ?
 
 
 
 
 
むむむ。。2006年10月 - 佐藤栄佐久・前福島県知事及びその実弟が、木戸ダムの入札に当たり前田建設工業に便宜を図った(ゼネコン談合)として、収賄罪及び競争入札妨害罪で逮捕される。

ってありますね。

水谷建設と並んで、福島の原発止めようとして逮捕された佐藤栄佐久・前福島県知事の収賄疑惑の建設会社です。
 
 
 
 
 
株式会社CDMコンサルティング
会社概要
業務内容 :
  • バイオマス再利用技術の開発
  • 次世代技術開発(有機廃棄物処理技術、真水製造技術等)
  • 特許権の取得、保有、および運用
 
 
 
 
社長あいさつ
 
 
創業者体験談 二度の創業から得たもの
(株)ロンフォード 代表取締役 早藤 茂人
 
 同じ人かなあ?
 
 特許二つでこういう会社の社長になれるのかなあ?
 
 
 
グリーンテックソリューション 沿革 
 

2010年 2月
東京都中央区勝どき5丁目に株式会社グリーンテックソリューション設立。
株式会社CDMコンサルティングよりBDF事業に関わる特許および営業権を継承
 

2011年 12月
米国ジャトロディーゼル社とライセンス契約(超臨界BDF製造技術)を締結
 
 
ちょっと背景わかんないです
 
 
 
 
 
バイオエタノールといえば、モンサントが批判されました。
 
 
 
バイオ燃料に関するモンサント・カンパニーの考え方
 
食糧と燃料のどちらか」という二者択一の問題ではないと考えます
 
 
 そういうことじゃないと思います。
 モンサントさん!
 
 
カナダにおけるバイオ燃料産業に関する動向について(その2)
 
 
 
444 食料生産及び持続可能性について
 
(2)バイオテック農業の持続性と生産性
Denise Dewar 氏(CropLife International 社)
CropLife International 社は、植物バイオテクノロジーまたは作物保護に関係する、90 カ国、1,000 以上の会員会社および団体からなるグループであり、植物科学産業を推進するために設立された。日本農薬工業会も会員である。
住友化学株式会社は、BASF 社、シンジェンタ(Syngenta)社、モンサント(Monsanto)社、バイエル・クロップサイエンス(Bayer CropScience)社、FMC 社、デュポン(DuPont)社、およびダウ・アグロサイエンス(Dow AgroSciences)社とともに、グループを推進する8 つの中核会社の一つである。
 
 
 
トウモロコシの高騰は、バイオエネルギーに使ったものではなく、金融の投機によるものだったように記憶しています。
 
 
TPPで守れるか云々の砂糖。 守れるかって、関税その他交渉はできないし、日本政府が勝手に、規制緩和してるし。。
だから、争いが起こっても不思議はないですね。
 
 
 
特産種苗第12号
高バイオマス量サトウキビを用いた砂糖・エタノール複合生産プロセス
~新しい農工一体型・産業横断型プロセス設計~
アサヒグループホールディングス(株
 
図があるのでわかりやすい
 
 
 バガス
 
サトウキビを搾汁した場合、全体の約25%がバガスとして得られる。水分約45%、繊維分約55%と若干量の糖度で組成される。製糖工場などにおいてはこのバガスを圧搾機の燃料として搾汁作業を行ったり[2]、関連加工工場を併設し、コスト削減を行う場合がある。また、環境問題の面から見ても注目されている資源でもある[3]
 
  1. ^日本政策金融公庫-『サトウキビでバイオ燃料生産』
  2. ^JST-『バガス(サトウキビかす)を利用した多機能性食物繊維の製品化に成功』
 
 
 
北海道におけるてん菜などを原料としたバイオエタノール製造の取り組みについて
 
 最終更新日:2010年3月6日
 
 
 
 会社名:北海道バイオエタノール株式会社
 
株 主:             (平成21年5月末日現在)
  北海道農業協同組合中央会
  北海道信用農業協同組合連合会
  ホクレン農業協同組合連合会
  北海道厚生農業協同組合連合会
  全国共済農業協同組合連合会
  三菱商事株式会社
  日本甜菜製糖株式会社
  北海道糖業株式会社
  財団法人北海道中小企業総合支援センター
  北海道電力株式会社
  北海道瓦斯株式会社
  株式会社北洋銀行
  株式会社北海道銀行
  帯広信用金庫
  トヨタ自動車北海道株式会社
  日本通運株式会社
  札幌通運株式会社
  三ツ輪運輸株式会社
  北海道旅客鉄道株式会社
  株式会社十勝毎日新聞社
 
 
やっぱりねえ。。
 

 

 

甘味料カルテル:10社に課徴金30億円 公取委が命令へ

毎日新聞 2013年04月09日 東京夕刊
関係者によると、10社は東証1部上場の昭和10+件産業(東京都千代田区)と群栄化学工業(群馬県高崎市)の他、日本食品化工(千代田区)や王子コーンスターチ(中央区)など。
 
群栄化学の筆頭株主は三井化学
 
 

 
スターチ(デンプン)最大手、日本食品化工は米国産GMトウモロコシを原料とするコーンスターチを製造し、17日までに飲料メーカーなどへの供給を開始した。
 
一方、王子製紙グループの同業、王子コーンスターチは、大口ユーザーであるビール各社などと値上げ交渉を進める中で、値上げを回避する
ための有力な選択肢として、GM原料を使った製品供給の検討に入った。

 同社はすでにGM製品の需要拡大を見越し、コーンスターチ製造設備を持つ化学大手、群栄化学工業などとと提携。
 
王子製紙?三井グループの?

 
 
御来訪ありがとうございました。
 
 

メモ 製薬会社など ①

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(引用開始)
 
阪大微研
化学及血清療法研究所、
北里第一三共ワクチン
武田薬品工業
 
遺伝子組み換え型のインフルエンザワクチンを開発中のUMNファーマ世界
 
トップのワクチンメーカーであるノバルティスファーマ
 
 
 
IHI、インフルワクチン量産へ 生産期間3分の1
2013/4/17 6:57  http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD160GX_W3A410C1MM8000/
 
情報元 日本経済新聞 電子版
 
IHIは2015年にもインフルエンザワクチンの量産を始める。アステラス製薬からワクチン生産を受託する。独自の製造方法で生産にかかる期間を約2カ月と従来方法の3分の1に短縮。インフルエンザの大流行の際に素早くワクチンを供給でき、早期の予防や流行の沈静化に役立つ。
 バイオベンチャーのUMNファーマとの共同出資会社が100億円強を投じて岐阜県内に工場を建設。冬から春にかけて流行する季節性インフルエンザ…
 
 
 
IHI - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/IHI
 
独立系の企業だが、旧石川島重工業の社長だった土光敏夫が、三井系電機メーカーである東芝の再建に関わって以来東芝と密接な関係にあるため、三井グループを構成する二木会(社長会)・三井業際研究所(二木会直轄のシンクタンク)・綱町三井倶楽部(三井系の会員制クラブ)及び月曜会(三井グループ各社の役員間の相互親睦と情報交換を目的とする会合)に加盟している。
一方、旧石川島重工業と旧第一銀行とのつながりから、メインバンクはみずほコーポレート銀行であり、IHIは旧第一勧銀グループにも属しているといえる。
 
 
IHI[7013] - 大株主 | Ullet(ユーレット
http://www.ullet.com/%EF%BC%A9%EF%BC%A8%EF%BC%A9/%E5%A4%A7%E6%A0%AA%E4%B8%BB
 
 
 
アステラス製薬 - Wikipedia
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A9%E3%82%B9%E8%A3%BD%E8%96%AC
 
2007年(平成19年)には抗体医薬の技術を持つアメリカのバイオベンチャー「アジェンシス(Agensys)社」を3億8700万ドルで買収した。
 
2009年(平成21年)1月には、同じくアメリカのバイオベンチャー「CVセラピューティクス(CV Therapeutics)社」に対して1株16ドル・総額約10億ドルの買収提案を行ったがCV社は拒否。アステラスは1株16ドルでTOBを強行し敵対的買収に乗り出す。しかし同年3月12日、アメリカの大手バイオ製薬企業であるギリアド・サイエンシズが、アステラスを上回る1株20ドル・総額約14億ドルを提示してCV社と友好的に合意(ホワイトナイト)。アステラスは3月16日付でTOBを中止、買収を断念した。
 
2010年(平成22年)1月には、がん領域に強みを持つ同じくアメリカのバイオ製薬企業「OSIファーマシューティカルズ(OSI Pharmaceuticals)社」に対して1株52ドル・総額約35億ドルの買収提案を行った。
当初OSI社は提案を拒否、アステラスは同年3月から1株52ドルでTOBを強行するなど、一時は敵対的買収の様相を見せていた。しかし同年5月17日にアステラス側がTOB価格を1株57.5ドル(総額40億ドル)に引き上げたことで、両社は友好的買収で合意。同年6月8日のTOB成立、翌9日の略式合併により買収が完了した
 
 
 
アステラス製薬[4503] - 大株主 | Ullet(ユーレット)
 
http://www.ullet.com/%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A9%E3%82%B9%E8%A3%BD%E8%96%AC/%E5%A4%A7%E6%A0%AA%E4%B8%BB
 
 
UMNファーマ - Wikipedia
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%EF%BC%B5%EF%BC%AD%EF%BC%AE%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%9E&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=1&oq=umn%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%9E
 
式会社UMNファーマ(ユーエムエヌファーマ、: UMN Pharma Inc.)は、秋田県秋田市に本社、神奈川県横浜市西区みなとみらいに横浜本社を置くバイオベンチャー
 
目的遺伝子を導入したバキュロウイルスを株化昆虫細胞に感染させ大量培養した後に目的タンパクだけを高度に純化する技術(Baculovirus Expression Vector System:BEVS)をコアプラットフォームとして有する。インフルエンザに対する次世代組換え型サブユニットワクチンノロウイルスロタウイルスに対する新規組換え型ワクチンの研究開発に注力している。
 
 
2006年(平成18年)
  • 8月 - 米国コネティカット州のバイオベンチャーProtein Sciences Corporationから、SF+細胞により製造する遺伝子組換えインフルエンザワクチンの日本における独占的事業化権を取得。
2010年(平成22年)
  • 1月 - 株式会社IHIとインフルエンザワクチン原薬製造共同事業の基本協定を締結。
  • 4月 - アピ株式会社とインフルエンザワクチン製剤工程に関する包括的業務提携の基本協定を締結。
  • 5月 - 株式会社IHIとインフルエンザワクチン原薬の製造会社UNIGENを子会社として共同設立。
  • 7月 - 厚生労働省の「新型インフルエンザワクチン開発・生産体制整備事業(細胞培養法開発事業)」に採択される[1]
  • 9月 - アステラス製薬株式会社とインフルエンザワクチンに関するライセンス契約を締結。
  • 11月 - Protein Sciences Corporationから中国・韓国・台湾・香港・シンガポールにおけるインフルエンザワクチンの独占的事業化権を取得。
2012年(平成24年)12月 - 韓国日東製薬(株)とインフルエンザワクチンに関するライセンス契約締結2013年(平成25年)
  • 3月 - アピ株式会社及び株式会社ヤクルト本社との抗体バイオ後続品の共同研究開発・商業化に関する意図確認書締結
  • 3月 - 季節性インフルエンザワクチンUMN-0502 (ASP7374) 第III相臨床試験において免疫原性の非劣性と安全性を確認
  • 4月 - 横浜本社をみなとみらい地区に移転
 
 

社長
 
1991年 京都大学大学院医学研究科博士課程修了、医学博士号取得。The Journal of Biological Chemistry等に論文を発表[4]
ハーバード大学医学部マサチューセッツ総合病院白血球細胞生物&炎症部門リサーチフェロー
 1995年 エーザイ株式会社臨床開発部。
1997年 株式会社日本合同ファイナンス(現・JAFCO)国際営業部ライフサイエンス投資担当。Inspire Pharmaceuticals(ノースカロライナ州)[10]取締役。
1999年 株式会社パシフィック・リム・ベンチャーズ(シード・アーリーステージのバイオベンチャーにハンズオン投資をするベンチャーキャピタルファーム)創業、代表取締役に就任(2013年まで)。
 2000年 株式会社リクルートテクノロジーマネジメント開発室(現・テックマネッジ株式会社)ライフサイエンス分野アドバイザー(2009年まで)。
 2003年 東北大学先進医工学研究機構(現・未来医工学治療開発センター)タスク選定委員。2004年 秋田大学産学連携推進機構客員教授(現任)。株式会社UMNファーマ創業、取締役に就任(現任)。
 
 
役員(の前歴)
 
 
グラクソ・スミスクライン(株) 
アステラス製薬
ジョンズ・ホプキンス大学経済学大学院  信越化学工業  、(株)日本トイザらス
エーザイ(株) 味の素ファルマ
株)IHI
野村證券
 
 
株)UMNファーマ
2012年12月19日11:30現在
 
 
 

(株)IHI
453,250株
9.47%
アピ(株)
400,000株
8.36%
京大ベンチャーNVCC1号投資事業有限責任組合
264,000株
5.52%
野村アール・アンド・エー第二号投資事業有限責任
262,500株
5.48%
ネオステラ1号投資事業有限責任組合
225,000株
4.7%
あきたアカデミーベンチャー育成投資事業有限責任
170,000株
3.55%
投資事業有限責任組合アステック・テクノロジー・インキュベーション・ファンド
170,000株
355%
ジャフコV2共有投資事業有限責任組合
157,000株
3.28%
(株)IHIプラントエンジニアリング
141,800株
2.96%
野村アール・アンド・エー第三号投資事業有限責任
119,500株
2.49%
 
 
武田薬品
 
 
2011年(平成23年)9月 - スイスの製薬大手、ナイコメッド社の買収を96億ユーロ(約1兆円)で完了。自社販売地域が28カ国から70カ国に拡大。
2012年(平成24年)8月3日 - ジョンソン・エンド・ジョンソンが販売する一般用医薬品の日本国内での独占販売契約を締結。
 
 
 
1977年に製薬会社G.D.サール社に迎えられたラムズフェルドは1985年まで経営トップの座にあり、大胆なリストラを実行して業績を上げた。1990年から1993年にかけて通信企業ジェネラル・インスツルメンツのCEOおよび会長の職にあり、1997年から2001年の間はインフルエンザ特効薬タミフルを開発しその特許を所有しているバイオテック企業ギリアド・サイエンス社の会長をつとめた。ギリアド社の株式を多数保有しており、トリインフルエンザの懸念が高まった際には、同社の株式高騰によって巨額の富を築いたとCNNは報じた。
 
(引用終わり)

メモ 製薬会社など ②

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(引用開始)
 
岐阜新聞 2011年 2月 9日掲載)
アピ 養蜂の枠超え業容拡大 野々垣孝彦 (ののがき たかひこ) 社長
 
◆「挑戦」のDNA継承
参入8年目を迎えた医薬事業だが、参入の構想を野々垣孝会長(当時社長)から聞かされた時は「強く反対した」という。「ノウハウが少なく、業界で最後発のスタートはリスクが大きすぎる」と考えたからだ。それでも、持ち前の勤勉さから医薬分野の研究を進め、「今の会社の体力があれば、挑戦する価値はある」と見極め、実質的に参入を率いた。03年に「池田医薬品工場」(揖斐郡池田町)を設立すると、着々と生産規模を拡大させてきた。「まずは100億円規模に育てる」とし、今期は工場隣接地1万坪を取得、約65億円を投じてインフルエンザワクチンの製造設備を整える。
 昨夏には中国・上海市に現地法人を構えた。「中国市場は非常に魅力的。富裕層をターゲットに『メード・イン・アピ』をアピールする。
 
 
 
 
2012-03-07
 

 弱毒化させたインフルエンザウイルスを、鶏卵に埋め込んで培養する従来の方法だと、製造に約6カ月かかる。このため、事前の予測と違う型が流行すると、ワクチンの製造が間に合わない。

 昆虫培養法では、世界保健機関(WHO)が公表する情報を基に、流行している型に合ったワクチンを短期間に生産することが、技術的に可能になる。

 UNIGENの親会社の創薬ベンチャー「UMNファーマ」(秋田市)が、米国のベンチャー企業から昆虫の細胞培養法によるインフルエンザワクチンの国内での開発製造などの権利を取得。新工場ではUNIGENが原薬を製造し、アピが製剤化する。

 池田町のアピ池田医薬品工場の南側約3万5千平方メートルに、約200億円をかけて工場を建設。2万1千リットルの培養槽を複数基置く。1日当たり、約80万人分の季節性インフルエンザワクチンを製造できる。

 UMNファーマによると昆虫の細胞培養プラントは、米国の製薬会社が持つ3千リットルの培養槽が最大。同じ技術で子宮頸(けい)がんや前立腺がん、糖尿病などのワクチンも製造できる。

 2社の事業は3日、経済産業省の国内立地推進事業費補助金に採択された。経産省の補助金は両社合わせて約48億円。岐阜県も企業立地補助金として、約10億円を補助する予定。

http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20120206141012613

 
 
 
 
第一三共
 
北里第一三共ワクチン株式会社 - ワクチンの研究開発・製造・販売等
2011年4月設立。当社と学校法人北里研究所の共同出資により設立したワクチン専門の事業会社。
ジャパンワクチン株式会社:ワクチンの開発・販売等 2012年7月設立。グラクソ・スミスクラインとの共同出資により設立したワクチン専門の事業会社。
 
 
 
 
 
 
阪大微生物研究会
リンク集
 
関連団体・大学・提携企業
 
微研ミュージアム(大阪大学微生物病研究所内)
田辺三菱製薬株式会社(医療従事者向け)
 
 
2012-06-24(
 
MSD株式会社、阪大微生物病研究会
季節性インフルエンザHAワクチン製剤の国内販売契約を締結


阪大微研について関連記事

 
 
 
メルク・アンド・カンパニー
 
ドイツの化学・医薬メーカー、メルク(Merck KGaA)のアメリカ事業、及び資産が第一次世界大戦中に接収され、同国において独立したのが始まりである。そのため、ドイツのメルク(Merck KGaA)と区別して、「米国メルク」と呼ばれることもある。
また、メルク・アンド・カンパニー(Merck & Co.)は北米においてのみ「メルク (Merck)」を名乗り、日本を含むその他の国や地域においては「MSD (Merck Sharp and Dohme)」の名称でビジネスを行っている。一方、世界的に「メルク」の名称を用いているドイツのメルク(Merck KGaA)は、北米においてのみ「EMD (Emanuel Merck, Darmstadt)」の名称でビジネスを行う
 
 
1990年代までは医薬品業での世界売上高が断続的にトップであったが、2000年代はM&Aによる業界の再編に伴ってサノフィ・アベンティスファイザーグラクソ・スミスクラインなどに抜かれた。しかし米国メルクは2009年11月に米同業大手のシェリング・プラウを買収、売り上げ規模においてはファイザーに次ぐ世界2位に復している。
 
 
 
 
 
 
 
この時製造販売で提訴された製薬会社は、当時のミドリ十字(現在の田辺三菱製薬)と化学及血清療法研究所であり、輸入販売で提訴された製薬会社は、バクスタージャパン(日本トラベノール)日本臓器製薬、カッタージャパンを合併承継したバイエル薬品である。また、カッタージャパンの該当非加熱製剤を発売元として大塚製薬と、同じくバクスター製の同種製品の輸入発売元として住友化学(現在の大日本住友製薬)の2社も非加熱製剤を発売していた時期があり、無関係ではなかったが両社とも提訴されなかった
 
 
 
 
熊本日日新聞 2012年9月15日朝刊掲載
 
化血研、新型インフルワクチンの臨床試験開始
 
化学及血清療法研究所(熊本市)は14日、イギリスの大手製薬会社グループと共同開発している新型インフルエンザワクチンについて、健康な成人を対象とした臨床試験を始めたと発表した。2014年3月までの生産・供給を目指す。

 新型ワクチンの製法は「細胞培養方式」と呼ばれ、従来に比べて製造期間を3分の1程度に大幅短縮できるのが特徴。化血研は09年、同ワクチンの共同開発に着手した。11年10月からは、菊池研究所(菊池市)に量産施設を整備している。

 今回の臨床試験は8月にスタート。臨床試験としては最終段階となり、同ワクチンの有効性や安全性などを確認し、厚生労働省に製造販売の承認申請をする。(中原功一朗)
 
 
 
 
1953年 - 田辺製薬(現在の田辺三菱製薬)との合弁によって、ファイザー田邊を設立し日本へ進出した。当時の主力製品テラマイシン(抗生物質)などの販売を開始するも、テラマイシン国産品の増産が出来ず当時の厚生省の方針によって合弁契約の解消を迫られた。1955年6月 - 台糖ファイザーを設立。台糖(現在の三井製糖)が独自のペニシリンの培養技術をもって発売していた一方で、パートナーとして外国の医薬品メーカーとの提携を模索しており、当時のファイザーと利害が一致。1955年にファイザー田邊の田辺製薬持ち株分を台糖へ譲渡し、台糖ファイザーが誕生(実際は後に社名変更を実施)した。
 
2010年6月1日 - 2009年10月の米ファイザーの米ワイス社買収に伴い、日本法人もワイス社日本法人と事業統合した。
 
 
 
ノバルティスNovartis International AGNYSE: NVS)は、スイスバーゼルに本拠地を置く、国際的な製薬バイオテクノロジー企業である。チバガイギー社とサンド社という、スイスを拠点とする製薬会社2社の合併によって1996年に設立された。医薬品企業の中では売上高世界ランキング第2位である
 
1998年:カリフォルニア大学バークレー校バイオテクノロジーに関する製造販売協定を締結2000年:農業部門とアストラゼネカの農業部門が合併、シンジェンタ社設立2000年8月:ノバルティス コンシューマーヘルス社と花王の折半出資による共同事業として、ノバルティス花王を設立2002年3月:業績未達成のため、ノバルティス花王を解散2005年6月:ジェネリック医薬品会社、ヘキサル社(ドイツ)を買収し、ノバルティス社のジェネリック事業のサンド社と経営統合2006年:アメリカカリフォルニア州のバイオ医薬品会社、カイロン社(Chiron)を買収合併
 
 
両本社は、東京都港区西麻布にある西麻布三井ビル内に所在する。
 
 
 
 
アメリカ合衆国に存在した健康科学、薬剤農業動物健康を専門とした企業。 2003年ファイザーにより買収
 
1977 - 1985年ドナルド・ラムズフェルドCEO就任1979年、ロバート・シャピロ(Robert B. Shapiro)を相談役とし、アスパルテイム製品「ニュトラスウィート(NutraSweet)」開発。 ロバート・シャピロは、1982年、子会社ニュトラスウィート(NutraSweet)CEO就任1985年モンサントにより買収2000年4月、ファルマシア・コーポレイション合併(所在地:ニュージャージー州ピーパック・グラッドストン(Peapack-Gladstone, New Jersey))2003年ファイザーにより買収
 
 
(引用終わり)
 
 

メモ  ジャトロファ

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EICネット
 
 
 
 
 

登録日 | 2011.06.12
 
 
ジャトロファ利用における最新燃料ビジネス動向
講師
第1部 バイオ・アグリ株式会社 代表取締役 梶浦 唯乗 氏
第2部 日本バイオ・エネルギー 海外事業部 廿日出 津海雄 氏
第3部 千葉バイオ・エネルギー協同組合 理事長 中川 謙 氏
第4部 静岡大学 工学部 物質工学科 准教授 松田 智 氏
 
第1講 ジャトロファ栽培事業における国内外の現状と大規模栽培の可能性
 
講師プロフィール
東京農業大学卒、植物遺伝育種学専攻
 
 
第2講 ミャンマーにおけるジャトロファバイオ燃料開発
 
講師プロフィール
2007年 東京農工大学 連合農学研究科 博士課程修了 農学博士(農業経済学)
(株)日本開発政策研究所のコンサルタントを経て、現在に至る。
ミャンマー、カンボジア、ラオス、ベトナム、スリランカなどで農業、バイオ燃料開発に
過去10年間従事。
専門:バイオ燃料開発、農業開発
 
第3講 インドネシアにおけるジャトロファ作付け事業の取り組み
講師プロフィール  
成蹊大学卒 専攻政治経済学
ネスレ日本(株)勤務
ネッスル日本労働組合本部書記長
労働組合法人日本食品フォーマル代表
NPO法人明日の生活空間を創造する会代表理事
株式会社N&K 代表取締役
PT ミッドリバーインターナショナル CEO
 
 
 
第4講 東南アジア各国でのジャトロファバイオ燃料の現状と問題点

【講演趣旨】
タイ・フィリピン・インドネシアにおける現地調査結果を基に、東南アジア各国におけるジャトロファからのバイオ燃料製造の現状と問題点を要約して紹介する。
 
講師プロフィール  
1978年 京都大学 工学部 化学工学科 卒業
1983年 東京工業大学 大学院総合理工学研究科 化学環境工学専攻 博士課程修了 工学博士
東京工業大学資源化学研究所助手、長岡工業高等専門学校工業化学科助手・助教授を経て、
静岡大学准教授、現在に至る。
専門:化学工学、化学環境工学。
 
2011.07.29

ジャトロファ利用の最新技術動向
 
第1部 公立大学法人滋賀県立大学 工学部 機械システム工学科 教授 山根 浩二 氏
 
 
講師プロフィール)
1988年 北海道大学 大学院工学研究科 博士後期課程修了(工学博士)
1988年 京都大学 工学部 助手
1994年 同大学院 工学研究科 講師
1995年 滋賀県立大学 工学部 助教授
2001年 マサチューセッツ工科大学 客員研究員
2002年 滋賀県立大学 工学部 教授
(受賞)
1993年 日本機械学会論文賞 受賞
2002年 日本ウォータージェット学会論文賞 受賞
2007年 日本機械学会関西支部貢献賞 受賞
2009年 日本油化学会オレオサイエンス賞 受賞
(その他活動)
・農水省農業資材審議会機械化分科会専門委員
・兵庫県環境審議会大気環境部会特別委員
・バイオマス利活用技術情報提供検討委員会専門部会委員長
・全国バイオディーゼル燃料利用推進協議会指針等策定委員会副委員長/技術委員会委員長など
第1講 ジャトロファ油を原料とするバイオディーゼル燃料の製造・利用技術最新動向
 
 
 
 
第2部 日本植物燃料株式会社 代表取締役社長 合田 真 氏
第3部 首都大学東京 都市教養学部 理工学系 生命科学コース 教授 
小柴 共一 氏
 
講師プロフィール)
氏  名  小柴 共一(こしば ともかず)

略歴   1974年 北海道大学理学部植物学科卒業
1978年 東京都立大学大学院理学研究科博士課程修了(理学博士)
1978年 東京都立大学理学部助手
1986年 米ワシントン大学医学部 特別研究員
1998年 東京都立大学理学研究科生物科学専攻助教授
2002年 東京都立大学理学研究科生物科学専攻教授
2005年 首都大学東京理工学研究科生命科学専攻教授
第2講 ジャトロファの意義と事業化へ向けた取り組み

第3講 ジャトロファの栽培とその安全性
講演趣旨】
ジャトロファの栽培には高温が必要であるが、国内、
特に島しょを含む東京地域での栽培の可能性を調べるための、実験を行った。
都内、大島では、多少の例外を除いて冬を越せなかったが、八丈島、小笠原では栽培可能と考えている。ジャトロファには、ホルボールエステルが含まれ、発がん性を示す。精製ホルボールエステルはマウスに対して、30 mg/kg 程度のLD50値を示し、安全性の配慮が必要である。

1.フィリピンにおけるジャトロファ栽培、およびディーゼル油生成過程の視察

2.大学キャンパス(八王子南大沢;温室、室外)でのジャトロファの種子、および挿木からの栽培
 
3.都区内(夢の島公園)、島しょ地域でのジャトロファ栽培の試み
4.国内外でのジャトロファの栽培の現状
5.ジャトロファの安全性
6.シナアブラギリ利用の可能性

 
第4部 元大阪大学 柴垣 奈佳子 氏
 
講師プロフィール)
2001年 東京大学 大学院農学生命科学研究科 博士課程 修了
2001年 米国スタンフォード大学 カーネギー研究所 博士研究員
2008年 米国エネルギー省・ローレンスバークレー国立研究所
    Joint BioEnergy Institute 上級研究員
2008年 大阪大学 大学院工学研究科 生命環境工学(住友電工)寄附講座 准教授
 
 
第4講 改良型ジャトロファ開発のための分子生物学的研究の現状
講演者の大阪大学の研究室で取り組んできた、ゲノム解読、遺伝子発現・代謝産物蓄積の
解析などの結果を中心に紹介する。
1.ジャトロファの生理学的研究-乾燥耐性を中心に
2.ジャトロファの遺伝学的研究-ゲノム解読から分かったこと
3.ジャトロファの分子育種-分子育種のターゲット、形質転換方法とその課題
 
 
 
 
 
このような遺伝子操作技術や遺伝子情報を有効利用した育種方法は植物分子育種と呼ばれます。つまり植物分子育種には、大きく分けてゲノム情報を有効に利用して従来の交配育種を計画的に効率的におこなうマーカー選抜育種と、遺伝子組換え技術を用いた組換え育種があります。
 マーカー選抜育種では、従来であれば目で見たり、測定したりしていた性質を遺伝子のレベルで判断することができるため、選抜を効率的に行うことが可能ですが、基本的には従来の交配育種に基づくため、交配による遺伝子の組換えの範疇を超えたものはできません。もっとも、ゲノム解読やDNAマーカーの整備が進んだことで、複数の遺伝子が関与するような量的形質の遺伝子を特定し、利用できるといった点からも、単に育種がスピードアップするに過ぎないという訳ではありません。計画的に交配育種をデザインすることが可能になってきていて、これからの新しい育種技術として大きな期待がかけられています
 
もう一つの組換え育種は遺伝子組換え技術を用いた育種です。遺伝子組換え技術とは、一度遺伝子(DNA)を細胞から取り出して、その配列を試験管内でつなぎ合わせて、新しい配列に変換した後に、再び細胞に戻してやるという方法です。この技術により、育種の可能性が大きく広がりました。交配の出来ない生物の遺伝子を利用したり、交配では起こらない組み合わせの遺伝子配列を生み出したりすることが出来るからです。遺伝子組換え技術を用いて育種された作物はバイオ作物とも呼ばれ、世界の多くの国々で10年以上前から実用化されています。例えば、世界の大豆の6割以上が遺伝子組換え技術を用いて育種された品種です。
 
 
 
 
 
 
賛助会員
 
キリン株式会社 基盤技術研究所クミアイ化学工業(株)生物科学研究所三栄源エフ・エフ・アイ(株)サントリーグローバルイノベーションセンター株式会社 研究部シンジェンタ ジャパン(株)住友化学(株)健康・農業関連事業研究所デュポン(株)(株)常磐植物化学研究所トヨタ自動車(株)(株)日本医化器械製作所日本製紙(株)研究開発本部日本たばこ産業(株) 植物イノベーションセンター日本モンサント(株)BASFジャパン株式会社北海道三井化学株式会社 ライフサイエンスセンター英文校正・校閲論文和訳・英訳英語テープ起こしのクリムゾン
 
 
 
ジャトロファ(ナンヨウアブラギリ 
 
 
 
の約60%は脂質で、他にホルボールエステル類やレクチントリプシン阻害剤などの有毒成分を含む[5]
 
2010年12月、かずさDNA研究所ゲノム解読に成功したと発表[8]
 
 
古くから植物性の燃料資源として着目されており。かつては日本軍もこれに着目し、インドネシアにおいて栽培計画も存在した。
 
 
ホルボール
 
ホルボールエステルの最も特筆すべき生理活性は発がんプロモーション活性である
 
ホルボールエステルの中でも、特に12-O-テトラデカノイルホルボール 13-アセタート (TPA) は、発がんモデルなどの様々な研究において、試薬として用いられている。TPAはホルボール-12-ミリスタート-13-アセタート (PMA) とも呼ばれる。
12-デオキシ-13-アセタート体であるプロストラチンは、抗HIV薬候補として注目されている[10][11]
1989年スタンフォード大学のポール・ウェンダーらのグループによる全合成が報告されている[12
 
 
 
 
2013年3月19日 発表産総研:ヒトiPS細胞を生きたまま可視化できるプローブを開発
 
 
トリプシン(trypsin, EC.3.4.21.4)はエンドペプチダーゼセリンプロテアーゼの一種である。膵液に含まれる消化酵素の一種で、塩基性アミノ酸(リジンアルギニン)のカルボキシル基側のペプチド結合加水分解する
 
 
 
 
ジェトロ
 
カリフォルニアで燃料用ジャトロファの商業化研究開始 (米国)

 
 
 
バイオ燃料 毒植物が主役に 日欧企業相次ぎ栽培
2007年07月16日
英BPと英バイオ燃料会社、D1オイルズ
のびわこバイオラボ(滋賀県高島市)もマレーシアの企業と提携し、年内にカンボジアでナンヨウアブラギリの栽培
 
 
ヤトロファ(Jatropha,ナンヨウアブラギリ)
概要
 
(引用終わり)

昔の国会から 

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(引用開始)
 
第022回国会 予算委員会 第11号
昭和三十年五月十九日(木曜日)
   午前十時四十一分開会
  ―――――――――――――
 出席者は左の通り。
   委員長     館  哲二君
   理事
          池田宇右衞門君
           西郷吉之助君
           豊田 雅孝君
           小林 孝平君
           佐多 忠隆君
           松澤 兼人君
           堀木 鎌三君
   委員
           秋山俊一郎君
           泉山 三六君
           植竹 春彦君
           小野 義夫君
           木村 守江君
           左藤 義詮君
           田中 啓一君
           西岡 ハル君
           堀  末治君
           吉田 萬次君
           小林 政夫君
           田村 文吉君
           廣瀬 久忠君
           溝口 三郎君
           久保  等君
           永岡 光治君
           湯山  勇君
           永井純一郎君
           石坂 豊一君
           武藤 常介君
           千田  正君
  国務大臣
   大 蔵 大 臣 一萬田尚登君
  政府委員
   大蔵省主計局長 森永貞一郎君
   大蔵省主計局次
   長       正示啓次郎君
   厚生政務次官  紅露 みつ君
   厚生大臣官房会
   計課長     堀岡 吉次君
   厚生省公衆衛生
   局長      山口 正義君
   厚生省社会局長 安田  巌君
   厚生省保険局長 久下 勝次君
   厚生省引揚援護
   局長      田辺 繁雄君
   通商産業大臣官
   房長      岩武 照彦君
   通商産業省鉱山
   局長      川上 為治君
   通商産業省石炭
   局長      斎藤 正年君
   労働大臣官房会
   計課長     渋谷 直蔵君
   労働省労働基準
   局長      富樫 総一君
   労働省職業安定
   局長      江下  孝君
  事務局側
   常任委員会専門
   員       野津高次郎君
   常任委員会専門
   員       長谷川喜作君
   常任委員会専門
   員       正木 千冬君
  説明員
   大蔵省主計局主
   計官      大村 筆雄君
  ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○昭和三十年度一般会計暫定予算補正
 (第1号)(内閣送付、予備審査)
○昭和三十年度特別会計暫定予算補正
 (特第1号)(内閣送付、予備審
 査)
○昭和三十年度政府関係機関暫定予算
 補正(機第1号)(内閣送付、予備
 審査)
○昭和三十年度一般会計予算(内閣送
 付、予備審査)
○昭和三十年度特別会計予算(内閣送
 付、予備審査)
○昭和三十年度政府関係機関予算(内
 閣送付、予備審査)
 
 
第11号 昭和30年5月19日
政府委員(堀岡吉次君)
それから事項十九番の国立病院特別会計へ繰り入れでございまして、繰り入れの内訳は、裏をめくっていただきますと、十六ページでございますが、これは主としてこの十二億円というのは、施設整備費が大部分でございます。それからその次の事項として、ラジウムの購入費として千六百五十万円新規に計上いたしてございます。これは御承知のように、ラジウムは全部外貨をもってまかなうものでございまして、各病院でばらばらに購入されますと、外貨の関係もございますので、国立病院の若干の個所に集中購入いたしまして、外部に主として貸し出しをいたしたいというので、新規に千六百五十万円を計上いたしたのであります。
 次の事項20の国家試験費でありますが、国家試験については、特段に申し上げることはございません。
 それから21に有機燐酸製剤対策は、これは例のパラチオンの農薬の使用についての地方技術員の講習をやりたいというので、新規に二十五万円、金額は少々でありますが、二十五万円を新規に計上いたしておるのであります。
 次に事項22のあへん特別会計へ繰り入れる三千五百万円を新規に計上いたしておりますのは、あへん特別会計を設定いたしまして、昨年一般会計で行いましたが、購入払い下げ、購入払い下げと繰り返した作業を行いたい、それで特別会計でなければ、一般会計ではやりにくいというので、特別会計を作りますために三千五百万円を計上いたしたのであります。
 それから23の特殊医薬品買上げ諸費二千九百九十万円でありますが、昨年の一億三千三百万円より大幅に減少しておりますが、これはこの中に一億円昨年度あへんを購入いたします費用を計上いたしておりましたのが落ちますので、大幅に減額いたしておるのであります。
 次の24の麻薬取締り諸費、これは特段に申し上げることはございません。
 
○木村守江君 第一番目に、第一ページの生活困窮者の受胎調節普及事業費補助金、このことにつきましては決して緊急の問題ではないというのではありません。今の私の前提とは違いますけれども、これは一体どういうふうにお使いになりますか。ちょっと説明してもらいたい。
 
歴代総理大臣
第二次鳩山内閣
 
 
専売制
明治維新以後[編集]
戦前には、政府はタバコ・塩・樟脳アルコールあへんに専売制を実施した。戦後には、タバコ・塩・樟脳を扱う日本専売公社が設立された。
 
 
 
あへん
1954年開始。現在も存続(あへん法)。
 
(引用終わり)
 
 
 
 
あへん特別会計
【専売】より
…現在,塩の専売は日本たばこ産業株式会社にゆだねられている一方,アルコールの専売は通商産業省の所管で,その経理はアルコール専売事業特別会計で行われている。また,アヘンについては厚生省の所管であり,その経理はあへん特別会計によって行われている。
 
 
第一条 政府があへん法(昭和二十九年法律第七十一号)の規定により行うあへんの収納、輸入又は売渡の事業に関する経理を一般会計と区分して行うため、特別会計を設置する。
 (管理)
第二条 この会計は、厚生大臣が法令の定めるところに従い、管理する。
 (資本)
第三条 この会計においては、昭和三十年七月一日において一般会計からこの会計に引き継いだあへんの金額及び次条第一項に規定する一般会計からの繰入金に相当する金額をもつて資本とする。
(国債整理基金特別会計への繰入)
第十五条 この会計の負担に属する一時借入金の利子に相当する金額は、毎会計年度、国債整理基金特別会計に繰り入れなければならない。
 (実施規定)
第十六条 この法律の実施のための手続その他その執行について必要な事項は、政令で定める。
   附 則
1 この法律は、昭和三十年七月一日から施行する。
2 この法律の施行の際、一般会計に所属するあへんは、この会計に引き継がれるものとする。
3 厚生省設置法(昭和二十四年法律第百五十一号)の一部を次のように改正する。
  第十一条中第十二号を第十三号とし、同条第十一号の次に次の一号を加える。
  十二 あへん特別会計の経理を行うこと。
4 退職職員に支給する退職手当支給の財源に充てるための特別会計等からする一般会計への繰入及び納付に関する法律(昭和二十五年法律第六十二号)の一部を次のように改正する。
  第一条中「国立病院特別会計、」の下に「あへん特別会計、」を加える。
 
 
 
 
昭和五十八年度の財政運営に必要な財源の確保を図るための特別措置に関する法律
(昭和五十八年五月二十日法律第四十五号)
あへん特別会計からの一般会計への繰入れ)
第五条 政府は、昭和五十八年度において、あへん特別会計から、十三億円を限り、一般会計に繰り入れることができる。
 前項の規定による繰入金に相当する金額は、あへん特別会計法(昭和三十年法律第三十一号)第八条第一項の規定による積立金の額から減額して整理するものとし、当該繰入金は、あへん特別会計の歳出とする。

 
 
あへん供給確保事業 - 厚生労働省 平成24年 行政レビューシート
費目・使途
A. 国立医薬品食品衛生研究所 (単位 百万円)
 9
 
B 民間業者
 
原材料費 あへん購入費          781
運搬費   航空輸送費、輸送保険料   73
その他   人件費、旅費交通費等     38
委託費    国内運送費           18
(管理人注 CとDもあり)
 
支出先上位リスト
1国立医薬品食品衛生研究所
あへんモルヒネ含有率試験の実施  9
 
 
 
Bの民間業者
 
1民間業者
秘密随意契約    910
 
 
 
Cの民間業者 委託運送
民間業者
秘密随意契約     18
 
D.
九州厚生局     0.16
北海道厚生局 0.02
国内産あへんの収納業務
 
 
E.資金前途官吏
資金前途官吏   非常勤職員賃金      7
セコム(株)      施設保全業務委託費等 1
個人A         職員旅費
新東産業(株)    清掃業務等
東京電力(株)    電気料金
第一法規出版(株)   システム利用料
NTT           電話料金
個人B          職員旅費

日植アグリ(株)      消耗品
サンワ(株)        消耗品
沿革
平成21年
3月1日
井上商事株式会社・原岸株式会社が合併し商号を日植アグリ株式会社とする。
特約関係
 
 
 
株式会社サンワの検索結果
 
 
(引用終わり)
 
(管理人 サンワはたくさん有り過ぎてわからないのですが、ここだったらすごいね)

memo 731の人 国立医薬品食品衛生研究所

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(引用開始)
 
 
国立医薬品食品衛生研究所は、医薬品医療機器食品化学物質についての品質安全性有効性についての調査・研究を実施する機関である
 
なお、1874年に設立された東京司薬場を源流としているため、日本国内で「最も古い国立試験研究機関」[1]とされている。
所内には日本薬局方を創設したアントン・ヨハネス・ゲールツの記念碑がある。
 
 
前身組織[編集]
日本薬局方の父でもあるオランダ人アントン・ヨハネス・ゲールツから初代衛生局長長與專齋への粗悪な輸入薬品の検査・取締りを行う司薬場(薬品試験所)の開設の提言をうけ、1874年に医薬品試験機関として、官営の東京司薬場日本橋馬喰町、後に神田和泉町へ移転)が発足。1885年の半官半民の大日本製薬合資会社(後の、大日本製薬、現在の大日本住友製薬)設立には所長を務めた長井長義が初代社長として関与し、1891年まで所員を派遣するなど、日本における製薬産業の確立に関係が深い。1887年東京衛生試験所と改称。1914年第一次世界大戦の影響により、医薬品の輸入が途絶えたため、重要医薬品の製造を開始し、多くの医薬品の国産化に成功した。その結果、それまで輸入に依存していた日本の製薬産業の近代化の基盤が確立された。
 
1922年に、春日部に薬用植物栽培試験場が設けられ、試植研究等が開始された。1938年厚生省の発足に伴い、厚生省の所管となった。1946年に、戦災により被災した神田和泉町から旧陸軍衛生材料廠跡地の現在地に移転し、1949年に、国立衛生試験所と改称され、大阪衛生試験所は大阪支所となった。
 
1978年には毒性部、薬理部、病理部、変異原性部(のち変異遺伝部に改称)の4部からなる安全性生物試験研究センターが設置され、近代的かつ大規模の動物実験施設と共に、日本における安全性試験研究の中心的役割を果たす責務が課せられることとなった。1980年に、春日部の薬用植物栽培試験場が筑波に移設され、筑波薬用植物栽培試験場となり、内容の強化とともに、北海道、伊豆、和歌山及び種子島の各試験場との研究連絡をはかる体制が確立した。
 
 
1997年厚生省の機関だった国立衛生試験所が改組され、国立医薬品食品衛生研究所が設立された
 
 
 
共同研究[編集]
多数の分析用試料を同一条件で均質に同時粉砕できる多試料粉砕機の開発を昭和薬科大学独立行政法人食品総合研究所安井器械との共同研究で実施している[6][7]
 防衛省技術研究本部先進技術推進センター生物剤検知システム分野における研究協力に関する取決めを締結している[8]
 
アガリクスの発癌性[編集]
 
国立医薬品食品衛生研究所がアガリクスについて調査したところ、キリンウェルフーズが販売する「キリン細胞壁破砕アガリクス顆粒」に発癌促進作用があることが判明した。2005年2月13日、厚生労働省はキリンウェルフーズに販売停止と回収を要請し、内閣府食品安全委員会に販売の可否を諮問した[9]。キリンウェルフーズも厚生労働省の要請を受け入れ、当該商品の販売を停止し消費者から商品の回収を行った。なお、国立医薬品食品衛生研究所は当該商品以外のアガリクス製品に対しても同時に調査しているが、それらにはプロモーター作用は見られなかった。
 
 
メモ メタンフェミン バイエル
 
 
 
国立医薬品食品衛生研究所
研究所について
 
 
 
平成23年行政事業レビューシート    (厚生労働省) 事業名あへん供給確保事業
 
 
24年度要求 1028百万
 
A. 国立医薬品食品衛生研究所
9百万円
あへんモルヒネ含有率試験の実施
 
 
支出先上位10者リスト
 
島津サイエンス東日本(株)
東京都水道局長
新日本薬業(株)
(株)バイオテック・ラボ
片山化学工業(株)
新日本薬業(株)
東京電力(株)
新日本薬業(株)
片山化学工業(株)
 
 
 
 
731部隊関係者のその後および厚労省との関係
 

山口一季731部隊国立衛生試験所
 
 
 
 

八木沢行正勤務731部隊植物研究班班長

 
 
 
第040回国会 科学技術振興対策特別委員会 第22号
昭和三十七年四月二十五日(水曜日)
第22号 昭和37年4月25日
 
本日の会議に付した案件
 参考人出頭要求に関する件
 科学技術振興対策に関する件(ガン対策に関す
 る問題)
委員外の出席者
        厚 生 技 官
        (薬務局製薬課
        長)      平瀬 整爾君
        参考人医学博士
        (茅野市立茅野
        町病院院長)  牛山 篤夫君
        参考人医学博士
        (東京慈恵会医
        科大学附属東京
        病院分院第三病
        院)      荻原 正雄君
        参考人医学博士
        (財団法人ガン
        研究所附属病院
        院長)     田崎 勇三君
        参考人医学博士
        (東京医科歯科
        大学教授)   太田 邦夫君
        参考人医学博士
        (財団法人日本
        抗生物質学術協
        議会常務理事) 八木沢行正君
 
 
 
○原(茂)委員
今のお話ですと、基礎研究の上から動物のみ何か実験をされてきたようにお伺いしたのですが、いわゆる臨床的に人間のからだ、人体において実験といいますか、いわゆる基礎研究の成果をためしてみるというか、そうしたことはおやりになったことがありますかどうか
 
 
○八木沢参考人

その次にSICの問題でございます。ちょうど私今おっしゃいましたSICを、さらにその二年ほど前に一回見せていただいたことがございます。それ以後SICの方も非常に進歩したかもしれません。私はそれ以後の進歩は存じません。しかし、私の考えといたしましては、ただいま一番最後に申し上げましたその作用と毒性という問題は、やはりいつも考えなくちゃいかぬ問題だと思います。この場合、SICが毒性でないとおっしゃったけれども、私も正確には存じませんが、あるいは確かだと思います。ただ、今まで私がそのほかの合成剤、抗生物質等を見て参りましたときに、いつも抗ガン剤がありますとその有効成分いうものがはっきりわかって参ります。抗生物質の場合にも、もちろん発見された初期にはその化学構造等はわかりませんが、その中のどの化学構造のものがきくということがわかって参るわけであります。一般に新しい医薬品というのは有効成分がわかるということでありまして、中にはわからない血清類もありますが、これは化学的な方法、生物学的な方法、免疫学的な方法で一般に有効成分はわかるわけであります。私は不幸にして、SICの有効成分というものは何であるかということをまだ十分な研究を拝見しておりませんので、SICの毒性の問題は、SICの有効成分というものがもうちょっとわかってくると御返事しやすいのじゃないかと思います。率直に申しまして、SICなるものが確かにございますが、SICを何でSICときめていくかというと実は自信がないのでありまして、ほかの医薬品の場合には、抽出をするなり、化学的研究をして、その中の有効成分を確かめられるのが通常であります。この場合も、SICの有効成分を何かほかの方法で確かめることができたら、もうちょっと議論が進められるのじゃないかと存じます。
○太田参考人 結論的に申すと、私は制ガン剤の人体実験ということを手伝ったことはございます。私自身としてはかなりの経験を持っておるということは言えると思います。
 
 
○八木沢参考人 四年前に私拝見いたしましたときに、製造しておられるところを実は拝見したわけであります。その際に、私たちの抗生物質その他抗生剤の常識から参りますと、製造していく各工程で何が幾らできているかチェックするわけでございまして、その方法は必ずしもそのものずばりの方法ではございません。(中略)  ただ、先ほどのSICを拝見いたしましたときに、SICを、これでできているんだとおっしゃいますが、私、何でそれを確かめておられるのか、培養後何時間でSICができているか、SICがどこで確かめられているか、実は私全くわかりませんで帰って参りました。培養温度等に関しても、どの温度で培養したら一番いいかということは、私は実はわからないで帰って参りました。もちろんやっておられる方は、ある程度目算を持っておっておられるでありましょうが、いわば客観的に見てわかるような御説明はいただけなかったと思います。そういったところがら、いわゆる今までの合成剤、抗生物質等のものとSICとは全く違うものだ、別の範疇のものだと思います。そういうところがら、有効成分に関してももちろん伺わなかったわけであります
 
 
 
 
牛山篤夫のSIC
 
簡単に説明します。
午前10時37分、牛山 篤夫氏を参考人に招致した科学技術振興特別委員会は、冒頭から
SIC
潰しを目的にした喚問を続けています。 言葉使いは丁寧でも、論調は既に制裁の色が滲んでいます。 単に、牛山氏を国会の場に引きずり出し、合法的に個人攻撃しただけの公式会議に思えます。
約3時間、牛山氏に対する質疑応答は終わりました。
午後2時28分、再開された委員会は正に言いたい放題です。
「牛山博士の
SIC
はインチキだ」から始まり、「富山のマンキンタンと同類だ」挙句の果ては「もう一度勉強して出直して来い」と、権力ある参加委員達のエゴが剥き出しになったお粗末な会議だったと思います。 そこには、ガンで苦悩する患者に対する思い遣りは、微塵も感じられません。
 
 
(引用終わり)
 
八木沢という人のウィキを見ると、昆虫博士みたいなことしか出てきません。
SICという薬の、有効性は別として
 
731部隊の人でも、国会に呼ばれて、こんな風に影響力を駆使していたんだなあ。。
 
ワクチン作ってるところには、もれなく、再就職してますね。
 
阪大が引いて、北里は事件に。。の直後に
IHI アステラス製薬 UMNファーマ
が、出てきますか。。
 
御来訪ありがとうございました。
 
 


 
 
 
 

メモ 製薬会社など ③

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引用開始)
 
1921年(大正10年) - 大塚武三郎によって、大塚製薬グループの源流である大塚製薬工場徳島県鳴門市に創立される。
関連項目[編集]
 
医薬経済社
2013年4月3日
北里第一三共 「3月中」の申請、間に合わず
新型インフルワクチン 補助金事業で、武田と化血研は完了
 
 
 
業界が注視する北里第一三共、4000万人分のインフルワクチン供給は実現するのか【日経バイオテクONLINE Vol.1869】
2013年4月14日 10:09
 
北里第一三共ワクチンは、第一三共と学校法人北里研究所が共同出資で2011年4月に設立したワクチンメーカーです。
 
続報、第一三共と北里研究所、ワクチン事業で合弁設立、マジョリティーにこだわったのは「飛躍するため」と中山第一三共社長
https://bio.nikkeibp.co.jp/article/oc/2007/2758/
 
国は2011年8月、新型インフルエンザワクチンの製造体制を整備するため、「新型インフルエンザワクチン開発・生産体制整備事業」に4社を採択しました。その4社とは、北里第一三共ワクチン、武田薬品工業、化血研、阪大微生物病研究会です。
 
細胞培養新型インフルエンザワクチンの実生産設備への特例交付金の交付先4社が決定
https://bio.nikkeibp.co.jp/article/oc/2008/1052/
 
国はこの整備事業により、H5N1インフルエンザのパンデミックが発生した場合、半年間で全国民分のワクチンを準備できる体制を作ることを目指しています。4社には製造規模に応じて助成金が配分されることになりました。各社の製造規模と助成金額は、北里第一三共ワクチン(4000万人分、300億円)、化血研(4000万人分、240億円)、武田薬品(2500万人分、240億円)、阪大微研(2500万人分、240億円)と決まりました。
 
パンデミック発生時は、製造に時間のかかる鶏卵培養ワクチンではなく、細胞培養ワクチンの方が有用です。各社は助成金を活用して、細胞培養ワクチンの臨床試験を開始するとともに、製造設備の建設に取りかかりました。
 
この整備事業に異変が起こったのが2012年11月でした。阪大微研が突然、事業からの撤退を発表したのです。その理由は、フェーズI/II試験で十分な有効性が得られなかったというものでした。阪大微研は、ウイルスのHAたんぱく質換算で7.5μg/dose、15μg/dose、30μg/doseの3用量で試験を実施しています。承認済の鶏卵培養H5N1インフルエンザワクチンの用量は15μg/doseですから、2倍の投与量でもだめだったというわけです。このまま開発を進めて承認を取得しても、投与量を大幅に増やさなければならないため当初の計画より数倍規模の製造規模が必要になるということでした。
 
厚労省の細胞培養法インフルワクチン事業から阪大微研が撤退、厚労省は240億円で事業者を再公募へ
https://bio.nikkeibp.co.jp/article/news/20121123/164622/
 
さて、整備事業の採択では、2012年度中の承認申請、2013年度中の承認取得が見込めることが要件となっていました。果たして、3月27日に武田薬品が、28日に化血研が申請にこぎ着けました。一方、北里第一三共ワクチンは現時点でまだ申請していません。2013年度中に承認を得るには、審査にかかる期間を考慮すれば、6月末までの申請がデッドラインでしょう。
 
最大の焦点は、フェーズIIIで主要評価項目を達成できているのかという点です。フェーズIIIは数カ月前に完了しているはずですが、その結果は公表されていません。第一三共の広報担当者にプロジェクトの現状を尋ねてみましたが、「申請準備中」と回答するばかりで、それ以上の情報を開示してくれませんでした。フェーズIIIでの投与量さえ教えてもらえませんでした。
 
一般財団法人臨床試験情報センターのデータベースによると、同社は新ワクチンのフェーズIIIとして、既存の鶏卵培養ワクチンとの非劣勢試験を実施しています。ということは、投与量は15μg/doseと考えるのが最も合理的です。もちろんこの投与量は、阪大微研が有効性を得られなかったレベルのものです。
 
厚労省にも聞いてみました。対応してくれたのは、結核感染症課予防接種室の今井美津子室長補佐です。「北里第一三共からはフェーズIIIの結果についてどのような報告があったのか」「全国民分のワクチンを半年間で準備するという目標は達成できる見込みなのか」などと質問しましたが、「企業が現在、対応を検討しているので何も答えられない」との回答でした。
 
今後、北里第一三共ワクチンが迎える状況は、次の4つが想定できます。
 
1 フェーズIIIで良好な結果を得ており、当初の予定通りの投与量(15μg程度か)で承認申請できる
2 阪大微研と同様の状況に追い込まれており事業から撤退する
3 当初の予定より高い投与量が必要となっており、製造設備のキャパシティーに限界があるので、4000万人分の一部の返上を申し出る
4 当初の予定より高い投与量が必要となっているが、追加投資を行って製造設備を増強し、4000万人分を維持する
 
 第一三共や厚労省への取材の印象やこれまでの経緯から、今のところ3か4の可能性が高いと予想しています。阪大微研の穴埋めには化血研と武田薬品が手を挙げていますが、北里第一三共ワクチンが4000万人分のワクチン製造を達成できなくなった場合、その分を引き受けられるところが出てくるかどうかは不透明です。全国民にワクチンを供給するための体制構築が遅れれば、その前にパンデミックが発生するリスクも高くなります。この事業には1000億円以上の税金が投入されており、その成否はナショナルセキュリティーに関わります。北里第一三共ワクチンが今やるべきは、フェーズIIIの結果公表を含めて、プロジェクトの現状を速やかに説明することではないでしょうか。
関連記事
 
細胞培養ワクチンは日本オリジナルにこだわらなかった武田薬品が先行【日経バイオテクONLINE Vol.1792】
2012年10月3日 19:00
米Baxter International社と提携して日本で新型インフルエンザに対する細胞培養ワクチンの開発を進めてきた武田薬品工業が、Baxter社の日本法人と共同で、9月に厚生労働省に対して製造販売承認申請を行っていたことが分かりました。
武田薬品、バクスター、細胞培養インフルエンザワクチンを日本で製造販売承認申請
https://bio.nikkeibp.co.jp/article/news/20121003/163580/
 
といってもこれは、Baxter社のチェコの工場で製造した輸入ワクチンで、国産ワクチンではありません。武田薬品とバクスターのグループは比較的順調に開発が進んでいますが、まだ光工場での生産体制の整備は完了していません。
 
 
バクスター (製薬会社)
 
1969年 - 米国バクスター・トラベノール社と住友化学との合弁会社として日本トラベノール株式会社設立
1992年 - モノクローナル抗体による高度精製とS/D処理によるウイルス不活化を行った血液凝固第VIII因子製剤の製造技術を日本赤十字社に技術供与
2010年 - 武田薬品工業株式会社とヴェロ細胞培養インフルエンザワクチンに関する培養・製造技術の許諾ライセンス契約を締結
 
 
 
薬害エイズ
 
 
日本臓器製薬
 
1965年5月:スイス・ビオバザール社及びフランス・プロメディカ社と業務提携成立。 1983年6月:兵庫県加東郡社町(現・加東市)に生物活性科学研究所を竣工。 1983年11月:財団法人小西国際交流財団外務大臣認可により設立。
 
 
THINKER
インフルエンザワクチンは打ってはいけない。
 
 
(引用終わり)
 
 
 
 

メモ  化学及血清療法研究所

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2012年9月18日
化血研 新型インフルエンザワクチン、国内で第3相開始
 
化学及血清療法研究所は14日、グラクソ・スミスクラインと共同開発中の「細胞培養新型インフルエンザワクチン」の第3相臨床試験を8月に開始したと発表した。国内の健康成人を対象に、同剤を接種した際の免疫原性と安全性を評価する。同剤の開発は、厚生労働省の「新型インフルエンザワクチン開発・生産体制整備事業」に選定されており、国内での生産・供給体制の構築を急いでいる。.
 
 

2012年4月20日
アステラス 4種混合ワクチン、化血研と販売提携
 
アステラス製薬は19日、化学及血清療法研究所が申請中の百日せき、ジフテリア、破傷風、ポリオの4種混合ワクチンの販売提携を結んだと発表した。今年秋頃に見込まれる承認取得後、化血研が同ワクチンを製造し、アステラスのMRが全国で販売とマーケティング活動を手掛ける。九州地区については、化血研のMRも販促活動に加わる。

 化血研の4種混合ワクチンは、セービン株由来の不活化ポリオワクチンを含む。従来の......
 
 
2011年1月28日
 
化学及血清療法研究所(熊本市)とアステラス製薬は27日、化血研の乾燥細胞培養日本脳炎ワクチン「エンセバック皮下注用」の販売・販促契約を締結したと発表した。すでに17日付で承認を得ているワクチンで、アステラスが販促・販売活動を全国的に実施。九州エリアに関しては共同販促する。化血研は昨年6月に、アステラスとワクチン12品目で同様の販売・販促体制の契約を結んでいる。いずれも経営資源の有効活用などを目的......
 
 
 
くまもと経済EX 2011年
 
ワクチンを軸に先端バイオ技術で、熊本から世界市場へ挑戦
 
 
2004(平成16)年から国立感染症研究所、独立行政法人医薬品医療機器総合機構、独立行政法人医薬基盤研究所とワクチンの開発を進めてきた。2008年4月に「沈降新型インフルエンザワクチン(H5N1株)」の製造販売を厚生労働省に承認申請し、2010年10月に高病原性鳥インフルエンザ(H5N1型)用の同剤の製造販売承認を取得した。2009年2月には製薬メーカーのグラクソ・スミスクライン㈱(=GSKジャパン)、グラクソ・スミスクライン・バイオロジカルズ(本部ベルギー、=GSKバイオ)と、新型インフルエンザワクチンの共同開発契約を締結し、2011年3月からは、共同開発中の「細胞培養新型インフルエンザワクチン」の第Ⅰ相臨床試験を開始している
 
 
化血研では、国内外で15程度の開発テーマが進行している。昨年は新型(H5N1型)インフルエンザワクチン、動物用のMD/ND組換えベクターワクチン、2011年1月には細胞培養日本脳炎ワクチンと相次いで承認を取得し、早期の製品化を進めている。さらにDPT(ジフテリア・破傷風・百日ぜき)に不活化ポリオワクチンを加えたDPT/IPV(4種混合ワクチン)は第Ⅲ相まで進めているなど、「これからの事業の柱が立ち上がってきた」(船津理事長)と期待を寄せる。
 現在承認申請中の3種混合ワクチン「MMR-Ⅱ」は米国メルク社との共同開発。エイズウイルス(HIV)感染症の治療薬開発のため、英国に続いてヒト化抗HIVモノクローナル抗体の米国での第Ⅰ相試験を実施中。また、2010年12月には、米国保健福祉省から次世代弱毒痘そう(天然痘)生ワクチン開発に最大3400万ドル(約28億円)の資金提供を受ける契約を締結した。「ワクチンを軸に、熊本から世界に通用する生物学的医薬品の開発に挑戦していく」と語る船津理事長、世界市場に向け挑戦を続ける。
 
 
2011年3月4日
厚労省 国内血液メーカーに「統合」促す
価格の高止まりなくすため、生産基盤の強化求める
 
厚生労働省は国内の血液製剤メーカーに対し、異例とも言える「統合」を促した。3日、血漿分画製剤の供給のあり方に関する検討会に中間報告案を提示。政府が国策として掲げる100%国内自給を達成するためには、日本赤十字社、 化学及血清療法研究所、ベネシス、日本製薬といった、血液製剤メーカー4社が統合し、事業基盤を強化することが「望ましい」と明記。事業規模を拡大することで、生産体制を効率化し、価格を抑えるこ
 
 
 
 
2010年10月13日
 
 
「BEVS」とは、人体に影響がないとされているウイルス(Baculovirus)に標的遺伝子情報を組み込んだ後、昆虫細胞に感染させて目的タンパクを大量に製造する技術です。UMNファーマは昆虫細胞としてヨトウガ由来の細胞株expresSF+Rを用い、UMN-0501とUMN-0502を製造します。本技術は米国「Protein Sciences Corporation」が開発し、UMNファーマが本技術を使用した、インフルエンザワクチンに関する日本における独占的なライセンス契約を2006年8月に締結しています。 本技術による製造法は、従来の孵化鶏卵を使用した製造法と比較して、流行株と一致したワクチンを迅速かつ安全に製造できるという点で優れているとされており、「BEVS」は既に発売されている製品にも用いられている、確立された技術と言われています。既に日本で承認されているグラクソスミスクラインのサーバリックス(子宮頸がん予防ワクチン)や、米国FDAが承認したデンドレオン社のプロベンジ(前立線癌ワクチン)も、この「BEVS」で製造されています。
「BEVS」は2008年6月には希少疾病用医薬品の指定を受けており、国内第I/II相臨床試験、及び国内第II相臨床試験において、ヒトでの免疫原性と安全性が確認され、現在、国内第III相臨床試験を準備中とのことです。UMNファーマは、2010年2月より厚生労働省医薬食品局血液対策課が公募していた「新型インフルエンザワクチン開発・生産体制整備事業」に応募し、2010年7月6日付で採択されています。また「UMN-0502」は「UMN-0501」と同様の細胞培養法で製造される、異なる3種類の抗原からなる季節性インフルエンザHAワクチンです。これは現在、国内第I/II相臨床試験の準備中とのことです。この基本合意によりアステラス製薬は、日本における契約プログラムの共同開発・独占的販売権を取得することになりました。尚、費用はアステラスが全額負担するものです。また「UMNファーマ」は、「Unmet Medical Needs(未だ満たされていない医療ニーズ)」を満たす薬剤を開発する創薬ベンチャーとして2004年に設立されたもので、現在、インフルエンザワクチン、筋ジストロフィー治療薬等を開発パイプラインに有しています。
 
 特許がからむ「2010年問題」
大手のワクチン参入の背景には、各社の主力医薬品の特許が2010年前後に一斉に切れるという「2010年問題」が横たわっています。特許制度に保護される医薬品は、特許が認められると約20年間、他社が同じ成分の薬を製造・販売できないことになっていますが、特許が切れると安価な後発医薬品を販売できるのです。世界的に新薬審査が厳格化し、各社の新薬開発が進んでいないこともあって、影響は深刻であると考えられています。その点、ワクチンは「新薬開発が進まない製薬大手には需要拡大が見込めるので、魅力的な分野で、今後も国内製薬会社の参入は加速する」と見られています。ただ、世界のワクチン市場は英グラクソ・スミスクラインや、スイスのノバルティスファーマ等、欧米企業が「圧倒的なシェアを占めている」状況で、国内企業が量産体制を整え、ワクチンを収益源にするのは容易ではないようです。この点で、国内で技術を確立した上で、先行する欧米大手に対抗できる量産体制をいかに整えられるかという大きな課題があります。その英グラクソ・スミスクライン(GSK)グループは化学及血清療法研究所(化血研、熊本市)と、新型インフルエンザワクチンの製造期間を短縮する技術の開発に向け、細胞でウイルスを培養させる方法を応用した新技術を確立し、ワクチンを迅速に製造する体制を整えるため、共同開発契約を結んだと発表しています。化血研によると、現在のワクチン製造は鶏卵にウイルスを注入し増殖させる技術が主流で、日本の全国民(約1億2千万人)分を確保するには、国が製造を依頼している化血研を含めた国内4社で18カ月間かかります。新技術が確立できれば、この期間を約3分の1に短縮できると言われています
 
また、化血研が契約はGSKバイオロジカルズ(ベルギー)とも契約を結んでおり、3社が持つ細胞培養技術、培養効率化に不可欠な免疫増強技術を組み合わせて新たな製造方法を開発し、量産化に向けた技術の確立を急ぐ方針のようです(3社は2月に基本合意、8月31日付で契約締結)。ただ、新技術で製造したワクチンは新たな臨床試験を実施する必要があり、国内での生産と供給開始には5年程度かかる見通しだと思われています。
 
 
この過程にはIHIのプラント技術が生きており、IHIは製薬会社向け細胞培養プラントの研究開発を、2007年からUMNファーマと共同で進めていました。その過程でワクチン原薬の製造に参入することが決まったそうです。
 
 
このUMNファーマの取り組みは、2010年問題による従来型医薬からのシフトの動きの1つと考えられており、今後同社は、細胞培養技術を様々な分野に応用していく考えを示しています
 
尚、UMNファーマ社長は元々、京都府の舞鶴市民病院で小児科医長を務めていた医師で、その後、「旧・日本ロシュ(現中外製薬株式会社)でインフルエンザ治療薬「タミフル」の日本導入」に関わり、ソニーのライフサイエンス事業開発室でDNAチップの開発に携わった経験も持っています。 また、同社の取締役にはファイザー製薬(本社:米国)でバイアグラの臨床試験を担当されていた方などがおられます。尚、過去には米国では製薬大手のアストラゼネカが、米国で出荷していた鼻腔吸引のスプレー式新型インフレンザ用ワクチン「フルーミスト(FluMist)」470万回分を自主回収しており、これは定期的な試験の結果、効力が弱まって規定値を下回っていることが判明したためでした(米食品医薬品局(FDA)発表)。ワクチンの安全性には問題はなく、すでに接種を受けた人が再接種する必要はないと発表されましたが、この時点では約3千回分がまだ倉庫に保管されており、同社が診療所に通知を送付し、未使用のワクチンを回収したという事がありました。米保健社会福祉省(HHS)は当時、2億5,100万回分の新型インフルエンザ用ワクチンを製薬5社に発注しており、このうち、アストラゼネカは4,000万回分を受注し、既に2,300万回分を出荷していた状態でした。また、仏製薬大手サノフィ・アベンティスも、同時期に80万回分の新型インフルエンザ用ワクチンを回収しており、製薬各社は出荷ごとにワクチンのサンプルを取り出して効力の試験を行ない直しています。
 
(引用終わり)

化血研て、全方位外交みたいだな。。

身に沁みないと理解できないんだ

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 御来訪ありがとうございます。
 
 「考える」ということを考えようとして、考える対象がないと、考えられ ないんだと思って 孤独になった。
 
 
 考える材料を集めて、こねくり回す。
 
 あっちがくっつくのを邪魔したんだから、その時は敵で!
 コッチと契約してるから仲間かな?
 とか。。
 
 一人で考えるより、多くの人で考えた方が良いに決まっている。
 
 だから、やみくもに資料を出しちゃう。。
 
 
だから、こっちを見てもらったほうがいい。
 
 
(引用開始)
 
 
 
2013年04月12日
 
 
2013年04月14日
 
 
2013年04月18日
 
 
 
 
 
上下左右前後@sihouhappou8時間
様々な情報が錯綜しているけど、最近この二つの事を軸にしてモノを考えている。その二つが「原資を持っているもの」と「原資を運用するもの」とである。全ての構造や対立・合従・縦横などはこの二つの言葉で説明がつく。様々な情報はこの二つの原論から、遠ざけるため「だけ」にある
 
 
上下左右前後@sihouhappou8時間
例えば、「ユダヤ資本」という「原資を運用するもの」をあげただけでも「メーソンやーぁ」「イルミナティやーぁ」「大東社やーぁ」などなど雨後の竹の子のように出てくるがこれらは全て「原資を運用するもの」の「仕方」と「つるんでいる連中」の差異でしかない。
 
 
 
上下左右前後@sihouhappou8時間
要は「やくざと言っても~」と同程度の会話であり、確かに現実は現実として「認識」することは大切だが、私達のように「原資を運用するには何かを介せねばならない人たち」にとってみれば、全く無用な議論であり。本来は「運用される原資が一人一人にそれ相応に戻ってくる事」が重要である。
 
(引用終わり)
 
 
 
 錯綜するのは、
 
 「どうしてこんなことが起こるのか原因を突き止めて対処したい」
 という根本療法
 
  と、
 
 「とりあえず、起きそうな事に対して、自分や、周囲を守りたい」
 という対症療法
 
   を、同時にやろうとしてしまうから。。
 
 
 
(引用開始)
 
 
 
2013年4月4日木曜日
ロシア下院エネルギー問題委員長が日本のより低価格なロシア産天然ガス購入量拡大は可能と述べた様だ。
 
 
あのアルジェリア天然ガス施設襲撃事件の視点を変えれば、米国(米英帝WASP+ドイツ系ユダヤ)による大陸ユダヤ利権潰しという構図が仄見える。まぁ何方が勝利しようが、スポンサーの軍産複合体(+多国籍企業)は必ず利益を膨らませるわけだがね。言うまでもなく、彼等の利益の源泉は国民の支払う血税である。此れこそが“国連常任理事国プロレス”の目的なのである。
 
 
 
2013年4月18日木曜日
ベトナム社会主義共和国が今秋に予定する憲法改正で国名を「ベトナム民主共和国」に変更することを検討しているとのことだが。
 
 

ロシア主導のEAC(東アジア共同体)、米英主導のTPP(環太平洋連携協定)。現在の中国や北朝鮮は、周辺国にTPPへの参加を後押し“悪役レスラー”って処だろうな(プ
 
 
 
 
2013年4月18日木曜日
米国でテロが多発する中、オバマ政権が実現を求めていた銃規制強化法案が米上院で否決、廃案。
 
 
此の事件の流れは何処へ向かうのか。

流れが内へ向かえば“内戦”、外へ向かえば“侵略戦争”なのかも知れない。

何方に転んでも武器商人達の商機到来であることに変わりは在るまい。
ドル安政策で実体経済回復を目論むオバマ政権だが、強いドルを目指す米共和党にとってオバマの政策は正に目の上の瘤(こぶ)であろう。

一期目よりも保守化したオバマ政権が、今回の様な“テロの罠”に嵌り、米共和党保守勢力へと更に歩み寄る可能性も無きにしも在らずである。

日米同時カルト保守化が再現され、ブッシュ小泉時代の再来となるのだろうか
 
 
(引用終わり)
 
 
こういうところにたどり着くんだけど。。
 
 
 
 
まさに、人口的大津波の前で、どう生き残るか考えさえられてる感じでしょ?
 
 
その人口的津波を起こさせないようにしようとする人と
生き残るために、ボートを手に入れようとする人と
両方やる人と出てくるから混乱する。 
 
そういうところを 分断に利用されちゃうのね。
 
 
 
科学とか言われるものは、言葉にした時点で、すべて曖昧で
可能、不可能も、安全、危険も、確率でしかなく、声の大きい輩の
意見が通るようにされている。
 
同じ 「言葉」でも、読んだ人の人数分のイメージがあって
全て体験できない以上、想像して類推するしかない。
 
 
 
 
人工地震の話で
 
HARRPは、巨大な電子レンジを想像してありえると思い
 
深く穴を掘って爆弾とか水というのは、
近くの崖崩れで、ありえる と、思い
 
液状化は、田んぼを宅地造成した建売住宅の一軒だけ傾いた時
そこは、「井戸水で農業用水取るまで、ため池だったからだ」
と、聞いていたので、ありえる と、思った。
 
 
 
 
 
思い当たることが、過去にあるのよね。違うかもしれないけど
似たようなことが。。
 
そうやって、身に沁みるように理解する。
 
 
 
だから、フリーメーソンとか、イルミナティは 「互助会」
 
 
 
ウィキとか、見てて思った。
 
〇〇会社の、製薬部門を 分離して、△△と合併させて、
別の会社が、買収する。
 
ああ、これだ。
 
米国の 海外軍事部門を分離して、日本とオーストラリアの軍隊を合併させて、米国が、乗っ取るみたいだ。
 
だから、この場合、一番上位者は、「米国株式会社」の株主になる。
 
TPPは、そういう国の上に一枚咬ませるもので、それが、EUとかユーラシア共同体みたいなモンなんでしょう。
 
世界道州制かな?
 
 
 
ウチでは庭の草取りができる人が、私しかいない。
 
なぜなら、取るべき草と、残す植物の区別がつく人が他にいないから。
 
 
野草も好きなので、ホトケノザとかは、抜かないんだけど、ヒメオドリコソウは、即座に抜く。
ヒメオドリコソウは、強くて、ホトケノザが負けてなくなってしまうから。
 
でも、大事な野草も、百日草を植えようと思うところに生えていたら抜く。
 
仏壇の花は必要だから。
 
 
考えてみると、ヒメオドリコソウに罪はないわけ。
 
ああ、おんなじだ。
 
地球を自分たちのものだと思っている人は、自分たちの都合で、生かしたり、殺したりできるんだ。
 
異議を唱える人を懐柔して、殺して、脅かして、好きなようにしてきたろう、きっと。
 
私が、草を抜くみたいに。。
 
 
 
 
 
人でなしが、物事を決めている。
 
けど、
 
私も、人でなしになれる自信がある。
 
 
「自分の子一人を殺すのと、別の大陸の子500人を殺すのと
 どっちを取りますか?」
 
と、聞かれれば、躊躇なく自分の子を助けるだろう。
 
立派な人でなしになる。
 
 
目の前で、人を殺されるのと、見えないところで人が殺されるのと
 
どちらを選びますか?
 
と聞かれたら、大抵の人は、見えないところで。。と答えるだろう。
 
 
それほど、「目に見える」「近接性」は、強いんだろう。
 
 
 
 
(引用開始)
 
 
 
 

小沢一郎 ; だから,色んな所で,イタリアでも,仰るようなユーロをやめちまえと言う勢力が,意見が,強くなって来るんですよ。
 或いはまたフランスでも何処でもデモが起きてますよね。
 だからそういう意味で,僕は,生活水準を「まあまあ,こういう事なんだから」っちゅうて説得してダウンさせる事は,給料とか,年金とか,医療とか,それを説得してダウンさせるって事は,民主的手法では,不可能に近いと思うんです。


堀 茂樹 ; はああ,なるほど。


小沢一郎 ; そうすると行きつく所まで行っちゃって,もう,破産と,国家が。いう所まで行かないと,「そんじゃしょうがないね」って,皆なが,ならない限りは,僕は直らないと。
 ですから,多分ユーロはこのまんまだと,何処まで行っても巧くは行かないんじゃないかっていうふうに,僕はずっと思ってた。
 
(引用終わり)
 
 
 
貨幣の力を担保するのは軍事力。デスペのはんなり日記さまは
 
書いている。
 
後家の時代  でまだ出来ていないと書いた「女性原理の社会」は
 
不可能。 男の方が、素手で力が強いから。
 
 
ならば、貨幣を持った方は、常に軍事力をコントーロールしていなければ、寝首をかかれるってことかな?
 
コントロール、すなわち、分断して 儲けさせる。
 
 
 
でも、民主的手法では不可能って、すごいこと言っちゃっていると思いませんか?  
 
 
石川ともひろ議員の本で、小沢氏に
 
「日本の政治家が一番やっちゃいけないことはなんですか?」
 
と聞いたら
 
「そりゃ、天皇制をいじることだよ」
 
と、即時に答えたとありました。
 
 
 
川上戦略、は、昔の自民党のやり方」でもある。
 
つまり、「政策ではなくて 人物、私に任せてください」
 
的な。。
 
今は、「あ、あの人、名前知ってる!」レベル
 
 
 
小沢氏は、有権者の多くが 天皇を象徴としてしまう民衆であることを
知っている。
 
現実は、そうで、でも「自立した市民」を求める。
 
 
(引用開始)
 
 
Takafumi Kizaki@kagiwo11時間
おいら、物事は「損得」で判断するのが一番いいと思ってる。ここで言う損得ってのは、かなり広義なもので、例を挙げればいわゆる「無償の愛」みたいなものも「大局的な国家ビジョンの実現」みたいなのも「自己満足=得」となる。政治でもマスコミ報道でも、これで大半のことが説明可能になるんでね。
 
(引用終わり)
 
 
イギリスは、選挙で戸別訪問が許されているそうだけど、
訪ねられた人は、言うんでしょうか?
 
「あなたの政党の政策は、私にになんのメリットがあるの?」
 
日本では 自分の給料が上がってほしいな、でも、自分だけじゃ悪いな
 
 と思って、
 
「景気が良くなってほしいです」
 
 と答えてしまう。
 
 
唯一、自分の意見を表明できる選挙も、不正選挙で。。
 
 
手詰まり感が、ハンパないです。
 
 
 自立とは違うかもしれないけど、ネットでも、リアルでも 自分の意見 をガンガン出して、
 
 『あの人の言うことなら、信じてみよう」
 
 って思われちゃう、教祖になるのを恐れてはいけないと思うんです。
 
 
 「信者」は、うまくいかないと「教祖」を責めたりしますけど、
 
 失敗したところを克服して、いつか、教祖を越えます。
 
 
 そうしないと、民衆から市民へ移行する人は増えない。
 
 そんな気もします。
 
 
御来訪ありがとうございました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 メモ  穀物メジャーと 全農

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御来訪ありがとうございます。
 
ツィートはしたんですけど、忘れないうちにメモ。
 
(引用開始)
 
 
 
2011年07月06日
笑う穀物メジャー
 
というのが穀物メジャーについての差し障りのない紹介なわけだが、じつは世界の穀物というのは、ある程度以上のまとまった量になると、この組織以外からは買えないのである。

しかも、五大穀物メジャーから穀物を買える組織もまた、きわめてわずかな限られた組織だけなのである。

日本では、三井物産、伊藤忠、組合貿易、三菱商事、丸紅
は、五大穀物メジャーと取引をすることができるが、この五社以外は、五大穀物メジャーから直接に穀物を買うことはできない。

そうした集中度や独占度、それに不気味さが、石油メジャーにとてもよく似ているので、穀物メジャーと呼ばれるようになったわけである。

カーギル、ブンゲ、ドレフェス、コンチネンタル、アンドレが、その五大穀物メジャーだが、カーギルを除き、すべてユダヤ系資本である。またこれらはすべて同族企業であり、株式も非公開であるなど、その実体は必ずしも明らかではない。
 
 
参考

■穀物メジャー各社の輪郭
 かつて、5大メジャーといわれていたが、買収が進行し、現状はカーギルとADMの2強時代になっている。

●カーギル
 米国系。1865年創業。全世界に700事業所を持つ。
 売上高は710.66億ドル(2005年5月決算)。
 農産物以外に、石油・製鉄、保険などの事業を展開。
 株式をカーギル家、マクミラン家がすべて所有する非上場企業。

●ADM(アーチャー・ダニエルズ・ミッドランド)
 米国系。1902年創業。かつての5大メジャーの一つ、アンドレ・ガーナック、ドレフュスを買収し、現在、世界第2位。
 売上高は359.43億ドル(2005年6月決算)
 日本の花王が合弁会社を作っている。

●コンチネンタル・グレイン 
 米国系。元5大メジャー。1998年、カーギルが穀物部門を買収。

●ブンゲ
 オランダ系。1818年創業。28カ国に事業所がある。
 売上高は251.68億ドル(2004年12月決算)。
 大豆加工で第2位。南米最大の肥料製造、販売会社。

●ルイ・ドレフュス
 フランス系。 

●アンドレ・ガーナック
 スイス系。

■政府との人脈
 穀物メジャーは、政府高官を引退後に受け入れて、政府との人脈を形成、政策決定に介入している。

カーギル副社長であったウイリアム・R・ピアーズ(William R Pearce)は、ケネディ、ニクソン両政権の通商代表部を務めている。

またニクソン政権の農務次官であったクラレンス・パームビー(Clarence Palmby)は、1972年の米ソ穀物交渉の直前に、コンチネンタル副社長に就任。

レーガン政権の農務次官であったダニエル・アムスタッツ(Daniel Amstutz)は、カーギル社で長く飼料穀物の輸出を担当し、その後カーギル・インベスター・サ-ビスの社長を務めました。
リンク

 その後、ダニエル(ダン)・アムスタッツは、イラクで農業復興のトップになっている。
 
 
 
2011年07月22日
 
 
 
モンサントは米国のみならず、世界のバイオ関連企業を次々に傘下におさめるようになった。
1997年にはブラジルの大手種子メーカーのセメンテス・アグロセラスを買収。
翌98年には同業のライバル会社であるカーギル社の種子部門を14億ドルで手に入れた。(註、カーギル(当ブロブ「笑う穀物メジャー」参照)もモンサントもロックフェラー一族の中核企業)

デルタやファインを18億ドルで買い取り、デカルブを23億ドルで買収した。
さらにユニリーバの欧州の小麦部門を5億2500万ドルで買収。
人口爆発が続くインド大手ハイブリット企業であるメイコ社も獲得した。
破竹の勢いで進める企業買収M&Aの狙いについて尋ねられたロバート・ファーレイ取締役は、次のように答えている。

「我が社が取り組んでいるのは、世界各地の種子企業にとどまらず、食物連鎖のすべてのプロセスに関わる企業を一本化することである。その観点からとらえれば、種子の次に重要なターゲットになるのは水である。なぜなら水がなければ、生命は維持できないからだ」

モンサントが世界の水支配に本格的に取り組み始めたのは、1999年のことである。
 
ここに、モンサント社とならぶ、もう一つの悪魔、ベクテル社が登場する。第二次大戦前後のベクテル社とモンサント社の幹部には、核物理学者ローレンスなど共通メンバーが多い。
いずれもロックフェラーの兄弟会社と断言してもよい。

モンサントはベクテルと協調して、世界の水利権を手中に収め続けてきた。
 
 
 
2012年
全図解ニュース解説
世界の穀物取引の主役「穀物メジャー」について知る!
 
(管理人注 日経なので、??の所もありますが、図入りでイメージ掴みやすい)
 
 
 
 
 
 
 
全国農業協同組合連合会(ぜんこくのうぎょうきょうどうくみあい)は、北海道を除く日本全国の農業協同組合経済農業協同組合連合会(経済連)・専門農協の連合会(専門連)などの連合組織。全農JA全農とも称される。生産資材や生活用品の共同購入・農畜産物の流通・加工・販売、農業に関する技術・経営に関する指導助言などを行っている。
 
 
 
海道は広大な面積を有することもあり、経済連としても全国組織に匹敵するような規模になっていることから、JAグループの一員であるが「JAホクレン」とは名乗っていない。 規模があまりにも大きすぎるため、他の経済連と異なり、全農の下部組織ではない。
 
 
 
全農の海外事業所
 
(引用終わり)
 
 
上記に引用させていただいた「組合貿易」というのが気になって
検索していたのですが、ほとんど出てきません。
全農の海外事務所、ご覧になると、意外と少ないでしょう?
 
しかも、CIA方式を真似しているのか、別の会社を噛ませている感じが
あります。
 
 
(引用開始)
 
中川泰宏 海外視察
2000年 アメリカ農業視察報告
全農グレイン
案内役の職員がもっともらしく「ニューオーリンズにはギネスブックに入る世界1が3つあります」という。ひとつがアメリカンフットボールチームSAINTSのホームスタジアム「スーパードーム」、世界最大の競技場だ。次いで世界最長の橋「コーズウェーブリッジ」(39キロ)。最後が我が全農グレイン、かつて単一エレベーターとしては世界1の輸出量を記録したことがあるそうだ。
88年に穀物集荷・販売・保管の中堅会社、CGBを伊藤忠商事と共同で買収し、安定的な穀物確保システムを堅めた。三井物産や三菱商事など日本の名だたるトップ商社がエクスポートエレベーターから撤退していったなかで、全農グレインが勝ち残ったのは背後に組合員畜産農家を持っていたことが大きい。しかし、スタッフの創意工夫も忘れてはならないだろう。3年前に始めた製紙用原料ウッドチップの船積みはエレベーターの空きを利用した効率運用だ。あのカーギルが「とても考えられない」と教えを請いに来たほどだ。こうした積み重ねが全農グレインが生き残った要因だろう
 
 
 
 
HOKUREN情報館 - ホクレン農業協同組合連合会
 
(引用終わり)
 
8ページに 全農グレインとCGBエンタープライズの役員が 訪れたとの記事があるのですが、外国人(日本人ではない)の様子。。
 
その他、全農ヘイなど、ほとんど情報が見つからず、唯一見つかったのが、上海の
 
(引用開始)
 
 
日通神田ビル
 
事業案内
私たち全農グリーンリソースは現在、メインの仕事として全農とともに全農が世界各地から輸入して全国に供給する肥料原料や肥料製品の輸入代行業務や国内物流全般の仕事を行っています。
 全農が世界各地から輸入する肥料や燐鉱石・加里などの肥料原料を、国内の主要港にある私たちの支店や事業所で荷揚げ、搬入し、各地域へ出荷されるまで専用倉庫で保管。
 
全農グリーンリソース㈱
代表取締役社長  〇〇〇〇
 
 
 
取締役    非常勤   〇〇 〇〇  昭和27年1月3日生
平成16年1月  
 
    同会同所生産資材部長(現任)             
 
平成16年6月      新農業機械実用化促進株式会社取
                                                        締役(現任)
                                                        当社取締役(現任)
  昭和45年4月       当社入社
 平成6年10月       当社営業本部西日本支店長
  平成11年2月       北陸三菱農機販売株式会社取締役
                                                        業務部長
 平成12年2月       関東甲信越三菱農機販売株式会社
                                          
 
 
第4 【提出会社の状況】
 
取締役非常勤 〇〇〇〇 昭和27年1月3日生
 
昭和50年4月全国農業協同組合連合会入会
(注)3 ―
平成12年1月同会本所肥料農薬部輸入原料課長
平成15年1月同会同所同部次長
平成16年1月同会同所生産資材部長(現任)
平成16年6月新農業機械実用化促進株式会社取
締役(現任)
当社取締役(現任)
 
(引用終わり)
 
同じ人かな?顔写真がないので、別人かもしれません。
 
このルート(笑)
TPPでどうなるのかな?
タイかな?
 
あまりにも検索しても出てこないので、逆に想像してしまいます。
 
御来訪ありがとうございました。
 
 
 

LT貿易について

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御来訪ありがとうございます。
 
 
引用は 管理人コメントは青
 
 
 
 
 
1962年昭和37年)に日本中華人民共和国との間で交わされた「日中長期総合貿易に関する覚書」(通称:LT協定)に基づき、両国間の正式な国交はないものの、互いの連絡事務所を設置し、政府保証の融資を利用して行われた半官半民的な貿易形態である。最盛期には日中貿易総額の約半分を占めた。覚書に署名した中華人民共和国側代表廖承志(Liào Chéngzhì、アジア・アフリカ連帯委員会主席、のち中日友好協会長)と日本側代表高碕達之助(元通商産業大臣)の頭文字であるLとTをとってLT協定、ないしLT覚書と呼ばれ、覚書に基づいて行われた貿易をLT貿易と称した
 
 
アヘンというものを調べていてなんか気になるんですよね。
 
 
 
池田勇人
 
1962年(昭和37年)は11月4日からヨーロッパ七カ国(西ドイツフランスイギリスベルギーイタリアオランダバチカン)を訪問した。
 イギリスが日本に対し最恵国待遇を保証した日英通商航海条約11月14日に調印するなど、成果を挙げる。
1963年(昭和38年)9月23日からは東南アジア(フィリピンインドネシア)・オーストラリアニュージーランドの4カ国を訪問した
 
 
 
1962年の政治
 
11月9日 - 高碕達之助廖承志中国アジアアフリカ連帯委員会主席が会談。「日中総合貿易に関する覚書」調印に合意。これにより「LT貿易」開始。
11月12日 - 日韓交渉、請求権無償供与貿易借款で合意。
 
 
 
1963年
 
 
11月23日 - 第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディがアメリカ合衆国テキサス州ダラス市に於いて暗殺される。
 
 
1964年の政治
 
2月 - 吉田茂元首相、池田勇人首相の要請で特使として台湾を訪問。周鴻慶事件などで悪化した国民政府と関係改善。帰国後、送った「吉田書簡」問題で日中関係改善は一時冷却化。
 
 
4月19日 - 松村謙三中国を訪問。廖承志中日友好協会会長と会談。新聞記者の交換、LT貿易事務所開設で合意。
 
 
松村謙三
 
富山県福光町(現在の南砺市)出身の日本の政党政治家
 
1945年東久邇宮内閣に厚相として入閣、その後幣原内閣に農相として入閣。日本進歩党の結成に参加。 1946年翼賛選挙で推薦候補だったことと、大日本政治会幹事長を務めたことが原因で公職追放
1962年:日中貿易に関する岡崎嘉平太全日空社長)提案をもって訪中。日中長期総合貿易に関する覚書(廖承志高碕達之助の頭文字をとってLT協定と呼ばれる)締結に尽力。翌年からLT貿易が開始された。
1964年池田勇人首相退陣時の後継総裁選出について、日中友好及び党人の立場から河野一郎を推す。
 
 
岡崎嘉平太
 
岡山県賀陽郡大和村(現・吉備中央町)に、農業・岡崎鶴太郎の長男として生まれる。
1922年東京帝国大学法学部を卒業[1]後、先輩の世話で日本銀行に入行する[1]。営業局次長、外国為替部次長を経て、日中戦争下の1939年に、日銀を依願退職し、上海に華興商業銀行を設立して理事となり[1]中華民国維新政府統治下の上海へ赴任した。
太平洋戦争大東亜戦争)中の1942年には、大東亜大臣となった旧知の青木一男に請われ大東亜省参事官となり日本に戻る。
 
また経営者としての活動と平行して日中(中華人民共和国)間の経済交流推進に取り組み、1954年日本国際貿易促進協会常任委員に就任。1962年には全日本空輸(以下「全日空」と表記)の社長を兼任したまま高碕達之助とともに訪中しLT貿易協定を結んだ。
 
 
高碕達之助
 
大阪府高槻市で生まれる。旧制茨木中学を卒業後、農商務省水産講習所(後の東京水産大学、現在の東京海洋大学)に入所。その後、メキシコ万博漁業に入社し、水産技師として勤務。1917年、東洋製罐を創立。1938年、東洋製罐専修学校(後の東洋食品工業短期大学)を設立。
 
1942年満州重工業開発総裁に就任。
1952年電源開発総裁に就任。
1954年鳩山一郎内閣で経済審議庁長官・通商産業大臣を務めた。
1955年、旧大阪3区から衆議院議員に初当選。以後連続当選4回。同年経済審議庁廃止に伴い、初代経済企画庁長官に就任。1958年岸信介内閣でも通商産業大臣・経済企画庁長官・科学技術庁長官を兼任して入閣。1962年中華人民共和国を訪問。廖承志との間で日中総合貿易(LT貿易)に関する覚え書きに調印した。
 
1912年マグダレナ湾内のサンタマルガリタ島に缶詰工場が建設されることになり、派遣された~この頃は日米関係も冷え込んでいたために、高碕は島に秘密裏に日本海軍の基地を建設するために派遣されたスパイだという嫌疑をかけられたが、、水産講習所時代に来日し親交のあったスタンフォード大学総長のデイビッド・スター・ジョーダンの紹介で、後のアメリカ大統領ハーバート・フーバーの尽力によって疑いを晴らすことができた
1952年、当時の内閣総理大臣吉田茂に請われ「電源開発」の初代総裁に就任した
 
 
 
 
廖承志
 
1919年に帰国し嶺南大学に入学。1925年の父の暗殺後、再来日し早稲田大学に入学。1928年済南事件をきっかけに帰国、中国共産党に入党。1928年から1932年の間に渡欧してヨーロッパの中国人船員のオルグ工作を担当した。1930年には、モスクワ中山大学に学ぶ。そこでのちに台湾総統になる蒋経国と机をならべた。
 
1932年に帰国し中華全国総工会宣伝部部長に就任。一時逮捕されたり反革命の嫌疑で党籍を剥奪される時期もあったが、党の宣伝関係などの要職を歴任。1937年より香港において抗日戦争を戦う華僑の組織化の責任者となる。
 
1942年国民党政府に逮捕され1946年まで入獄。1946年に米国の仲介で成立した国共両党間の捕虜交換により出獄し1949年の中華人民共和国建国まで、新華社社長、党南方局委員、党宣伝部副部長などを歴任。建国後は政府の華僑事務委員会副主任、党中央統一戦線工作部主任など対外工作の要職に就いた。
建国後日本との国交のなかった1950年代に訪日し、対日関係の窓口として活動を行った。
 
 
2010-04-20
ナチス、FEMA、日本の防衛省、公安の背後にはイエズス会=CSIS
 
 
CSISは1964年、中国共産党諜報部の喬石長官との協力の下、中国国内の麻薬製造地帯のネットワークを「整備」し、世界各国に中国産麻薬の販売網を「形成」した。

 
 
 
 
1962年
11月9日に 「日中総合貿易に関する覚書」調印に合意
11月14日に日英通商航海条約を調印
 
1963年 
 11月ケネディ暗殺
 
1964年
 2月 - 吉田茂 台湾を訪問。周鴻慶事件などで悪化した国民政府と 関係改善。 日中関係改善は一時冷却化。
 
 4月19日 LT貿易事務所開設で合意。
 
  CSISが麻薬ネットワークを整備
 
 
 日中関係を冷却させてから独占という感じ。。
 
 
 
全日空機事故
1960年代、むちゃくちゃ多いな
 
 
 
LT貿易
 
 
LT貿易のため設置された高碕達之助事務所と廖承志事務所は、それぞれ日中両国にとって半ば公的な交渉の窓口としての機能も果たした。
1964年(昭和39年)に高碕は死去するが、直後の4月19日には、高碕事務所と廖承志事務所が日中双方の新聞記者交換と、貿易連絡所の相互設置に関する事項を取り決めた(日中記者交換協定
 
覚書では、1963年から1967年までの5年間を第一次五カ年貿易期間とし、年間の平均取引総額を3600万ポンドとする、中国側の輸出品は石炭鉄鉱石大豆トウモロコシ、豆類、塩、スズ、その他。日本側の輸出品は鋼材(特殊鋼材を含む)、化学肥料農薬、農業機械、農具、プラント、その他とすることなどが規定されていた。
 
従来の短期民間貿易に加え、政府保証を背景とした延べ払いを利用する長期・総合取引化が進んだ。一例として倉敷レーヨン(現クラレ)ニチボー(大日本紡績、現ユニチカ)によるビニロンプラント輸出をはじめとするメーカーの直接交渉による長期契約方式がある。LT協定締結直後には、早くも中華人民共和国技術輸出入公司ビニロン視察団(団長:楊維哲)が訪日、1963年8月23日には池田首相の決断により日本輸出入銀行の200万ドル融資が行われ、延べ払い形式でのプラント輸出が行われることとなった[6]ただし吉田書簡問題(後述)によりニチボーの契約は遅れる)。
 
クラレは軍服作ってる所ですし、ビニロンは北朝鮮がわが国の発明だ
と主張しているそうで。。
 
一方、LT貿易(後にMT貿易)の促進とともに、平行して行われていた協定外の貿易(友好取引と呼ばれた)の額も飛躍的に増加
 
御来訪ありがとうございました。
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